年の瀬に、ここ数年を振り返りました。「ADHD(注意欠如多動症)の当事者です」と、インターネット上で開示して約3年。オンラインだけでなく、講演やライブを通じて発達障害を伝える活動をしていると知った旧友は、「YU―KAちゃん性格変わったよね」と決まって口にします。昔はとてもおとなしく、自分の想いを表現することが少ない性格だったからです。それなのに、積極的に発信するように変化したのはなぜだろうと、考えました。
突き動かした想いがある
アルバイトでの挫折をきっかけに、ADHDがあるとわかったものの、だれにも開示できず、1年悩み続けました。診断を受けたのはたった6年前ですが、当時は発達障害に関して欲しかった情報を、インターネットで探し出すことができませんでした。困っていることに対する建設的な工夫や、発達特性をプラスに活かす方法など、前向きな記事を求めていたのです。しかし、目にしたのは「障害があるから、希望を持てない。働くことができない」という内容の発言の数々。落ち込む日々を繰り返していました。
暗中模索のなかで、転機が訪れました。同じ障害を持ちながらも、自分の特性を開示して周りから助けを得て楽しく働く先輩と、対面する機会を得たのです。「(発達凸凹の)凹んでいる部分には悩まされたけど、実はそれが周りの人との接着剤になってくれているよ」。先輩がくれた言葉にハッとしました。「目には見えづらいけれど困っている感覚をわかってくれる方に、初めて出会えた。弱さを隠して一人で抱えると辛くなるけれど、受け入れて思い切って開示したら、助けてくれる仲間ができる。これからは一人じゃない」大げさかもしれませんが、生きる希望がわいてきました。
それから発達障害当事者への前向きなインタビュー、講演、発達障害があるからこそ気づけた想いをあらわした曲……と形は変えつつも、無我夢中で発信し続けてきました。それは診断を受けた当時、自分が欲しかった情報や言葉です。「発達障害の診断を受けたものの、どうすればよいかわからず、一人きりで悩む人が減ってほしい……」という気持ちが強かったのだと感じます。
年月が経つにつれ、ありがたいことに活動がメディアでも取り上げられることが増えました。このコラムも含め、言葉を自分で綴るとき、想いを伝えられていることがうれしいと感じます。その反面、第三者を介して伝えてもらう際には、やはり真意が伝わるかどうか不安になることも、少なくありません。例えば、同じ診断名でもさまざまな症状があるなかで、たった一つにすぎない自分の特性が、発達障害のすべてであると勘違いされる可能性のある表現となっていたことがあり、責任を感じたこともあります。
しかし、短い時間で想いや情報が正しく伝わるかというと、ときに難しい。言葉は受け手によって印象が変わってしまうもの。誤解のないよう誠心誠意を尽くして、できることをやりきったなら、あとはコントロールできる範囲は超えているので、心配を手放そうと思えるようになりました。
本当に障害を大っぴらにしてよかったのか?と不安になるときもあります。それでも、友人・知人と「出会い直し」ができたと感じるときは、開示してよかったと思えます。
また、同級生が、障害による葛藤と、そこから生まれた想いに関する寄稿を読んで、「自分と重なったよ」と伝えてくれたことも。久しぶりに顔を合わせると、泣いたり笑ったりして、心を通わせることができました。
さて、私のコラムは今回で終わりです。1年間おつきあいいただき本当にありがとうございました。これからも、形を変え、想いを紡ぎたいと思います。みなさんとまた出会えることを、楽しみにしながら。