「人生楽ありゃ苦もあるさ~」。時代劇のテーマソングでお馴染みのフレーズですね。楽しいこともあれば苦しいこともあるけれど、それが生きているということなのだと教えてくれる深い言葉です。
病気やケガで、痛みなどの症状のあるときは気分が沈みがちなもの。だけどもなにもない状態がずっと続くこともそうそうないのではないでしょうか。人間の身体は機械ではないので、同じ動きを同じペースでいつまでも続けられるものではありません。長時間歩けば翌日は足が痛かったり、飲み過ぎれば翌朝は鼻声になったり、薄着で出掛けて風邪をひくこともあるでしょう。いつだって好不調の波はあるものです。
陰中の陽、陽中の陰
好調と不調というのは、善悪で判断すべきものではありません。調子のよいときが善、不調なときが悪だとするのは、不調なときの自分を否定することになります。自分の半分を否定し続けたら、自分を好きになれなくなるでしょう。「どうしてこんなときに不調になるんだ」と自分を責めるうちに、「自分はダメな人間だな」と思うようになってしまうのです。楽しいことも辛いことも、どちらも長くは続かないもの。楽と苦は、いわば光と影のようなもので、どちらもあっての人生でしょう。
東洋医学でいう陰陽は、陰と陽との両極があって成り立ちます。寒い冬と暑い夏の双方があって一年となる。どちらが善い、悪いということではありません。また、陰中の陽、陽中の陰といって陰陽の混在も認めています。冬でも汗をかくほどに暖かい日はあるし、夏にも肌寒い風の吹く日はあります。人の身体も同じこと。不調でもできることを見つけて前向きになれるし、好調なときに不調の原因となることをやらないよう自分を戒めることもできます。陰と陽はどちらかに偏るものではなく、どちらもともに存在するのです。
自分と対話してみる
「問題はそれが起きたのと、同じレベルで解決することはない」とはアインシュタインの言葉。問題の解決というのは、一つ次元が上がったところで調和し解決に向かうということです。
ある一つの物事について相手と想いを伝え合い、共有し合って、理解を深めていくことを「対話」といいます。対話において大事なのは、決してでてきた意見を否定しないこと。ときには話の内容があちこちに跳ぶことがあっても、それがヒントになりそれまでは考えもつかなかった解決策が見つかったりするものです。途中でなにかを否定してしまうと、思考の壁を破ることはできません。想いを共有し合い、理解を深めていくことが目的化できていないコミュニケーションは「会話」です。
不思議なことに「元気になりたい」と言って元気になる人は少ないものです。「○○をするために元気になる」というほうが元気になる。「元気」とはなにかを成し遂げるためのプロセスであり、決して目標化するものではない。ですから、好調と不調を行ったり来たりしつつ、自分がやるべきことをやる。そのことを確認するために、不調の波があると考えるといいかもしれません。
いまここで不調になるのは、なにか意味があるのか、やろうとしていることにブレーキをかけているのか、はたまた疲れがたまっているから休息を必要としているのか。自分自身と対話してみて、不調になった身体のことをも愛しく思えるようになりたいものです。