「痛いところだけ、チャチャっとやって」。ごくたまに治療時間の短縮を求められることがあります。まずは全身のバランスを調え、それから痛んでいる部位へと治療を進めていくので、時間短縮にも限界があります。痛いところを痛いときにだけでは、続けて通っても治りきらないことを理解してもらう必要があります。
一方で、特に症状がなくとも定期的にメンテナンスのために来院される方々からは「身体をケアしてもらえるだけでなく、自分と向き合う時間を持てて有難い」と言ってもらえます。
それぞれの求められることなので正解はありません。ただ、体調が良いのが続くことで心も落ち着いていられるのは事実。心が安定すれば慌てることもなく、大きなケガにつながるような事故もある程度は防げるかと思います。後々で痛い目に遭わずにいられるなら、そのほうが効率が良いといえそうです。
タイパの先駆け
このところ「タイパ」と耳にするようになりました。タイパとは、かけた時間に対する効果を重視するタイムパフォーマンスの略語。費用対効果を意味するコストパフォーマンスの略語であるコスパに関連した考え方です。料理の「時短レシピ」なども同様のものでしょう。ただ素早く行動するのとは違い、いくつかの手順を省略しているものも見受けられて、なにかと結果と効率を重視するのが覗えます。
私が20代のころ、週末に時間をかけて煮込んだ料理が美味しかった話をしているときに、「食べるのに数十分程度のものに何時間もかけるなんて信じられない」と言われたことがありました。料理をしている時間も楽しいので、手間暇をかけることが悪であるような言い方にショックを受けたのを記憶しています。また別の機会に、マラソンのテレビ中継が話題になり「スタートと、あとはゴール直前だけ観れば誰が勝ったかわかるし、その間2時間ほどは他のことができる」と言われたこともありました。マラソンはレース展開、駆け引きやアクシデントなどの、いわば「筋書きのないドラマ」を楽しむ立場からは結果だけわかれば良いというのに驚いたのを憶えています。もう30年ほど前のことなので、彼らはタイパの先駆者だったのだと思います。彼らからすれば、私の人生は無駄だらけなのかもしれません。
確かに世の中は便利になりました。以前ならなにか知ろうと思えば、書店か図書館でそのことについて詳しく書かれている本を探したり、あるいは詳しそうな知人に尋ねたりしたものです。いまではスマホでインターネット検索すれば、すぐに必要な情報に辿り着けます。時間だけで考えれば、何十分の一、何百分の一に短縮されています。だけれども、その過程のなかで目にする不必要と思えたものが後々必要になるような、偶然の出会いはないでしょう。その過程を楽しめるような、ゆとりがあってもいいのではないかと思います。
変化を感じる
効率を求める動きというのは、集中と緊張の連続。だからこそ、逆にリラックスする時間が必要です。陰と陽で考えれば一方に偏るとバランスを崩すので、意識的に開放して緩む時間を心掛けたいものです。
禅の言葉に「山色笑春風」とあります。春の風が吹いて、山全体が春の新緑に染まっているのを知る。季節の変化を感じることの大切さを説かれています。目の前のことに一杯一杯では、季節の変化には気づけません。ゆとりを持つことで小さな変化に気づきます。そのゆとりから、新しいことを知ることもできます。ゆとりは大切にしたいものです。
効率から解放されて、スマホも時計も持たずにふらりと出掛けてみるといいかもしれませんね。