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中川信男の多事争論

「多事争論」とは……福沢諭吉の言葉。 多数に飲み込まれない少数意見の存在が、 自由に生きるための唯一の道であることを示す

プレマ株式会社 代表取締役
ジェラティエーレ

中川信男 (なかがわ のぶお)

京都市生まれ。
文書で確認できる限り400年以上続く家系の長男。
20代は山や武道、インドや東南アジア諸国で修行。
3人の介護、5人の子育てを通じ東西の自然療法に親しむも、最新科学と医学の進化も否定せず、太古の叡智と近現代の知見、技術革新のバランスの取れた融合を目指す。1999年プレマ事務所設立、現プレマ株式会社代表取締役。保守的に見えて新しいもの好きな「ずぶずぶの京都人」。

追悼 奥村仁枝さん

投稿日:

過日、私の大恩人である助産師・奥村仁枝さんが急逝されました。64歳の若すぎる突然の訃報で言葉を失い、また失った人の大きさも日増しに強く感じています。

あれは1996年。インドにいた私は、助産師である奥村さんと鍼灸師の佐野由紀子さんのお二人に、運命の導きで出会うことになりました。インドで最初のお産をしようと決めていた私たちは、臨月の病院での検診も無事にすませ、その南インドのアシュラム(修業所)の附属病院でお産することになると信じて疑いませんでした。その病院は一切の治療費が無料であり、地域の貧しい人もたくさんやってきている場所です。陣痛が始まり、さあ、病院にと連絡をしたところ、突然に「外国人のお産は当院では認められない」との話し。当時、26歳だった私には今のような知識も経験もなく、誰かの助けを得ない限りどうにもならないところまで追い詰められました。そこにいた日本人になんとかならないかと話して回っていたら、先のお二人と出会うこととなり、事情を説明したところ「すぐに部屋でお産の準備をしましょう。絶対に大丈夫、安心して。」と言われたのです。

私は修業所の部屋を掃除し、お二人のサポートが始まりました。ヘルプをお願いした日本人たちが無事の出産を祈ってくれ、空が真っ赤に染まった夕方、その子は元気な産声をあげました。そこから、娘の、私の、そしてプレマのすべてが始まったといっても過言ではありません。仕事もなく、しかし世の中に対するひねくれた目線だけをもってインドにたどり着いた私が、それ以外の大きなものを授かったのがこの地であり、その傍らにいて、私を導き、そして育ててくださったのがこの奥村さん、佐野さんのお二人だったのです。このとき産まれた娘は、愛(Prema)と名付けられ、本誌でも自由学校の教師として連載をしています(→自由教育ありのまま)。

産まれたあとも、母乳指導から始まって、肌のケアや子育ての心構えや技術論まで、あらゆることをお二人から学ばせていただきました。その後、私は古今東西の自然療法とされるものをひたすら独学し、一定の知識を得た段階で、縁あって薬店の従業員となり、薬店でありながら薬を売らない店として地域ではそれなりに有名になり、医師が見放してしまったガン患者さんが続々やってくる店となったのです。

高い健康食品を売ることが私に会社から課せられた義務でしたが、それに嫌気したこともあって独立、露店で木酢液や奥村さんたちに教えてもらったナチュラルケアで必要なものを徐々に揃え、それをオンライン化したのが現在のプレマ株式会社の始まりとなりました。あのお産、そして奥村さん、佐野さんとの出会いがなければ私はこの世界にいることすらままならず、もしかすれば貧困層開放運動などに身を投じて、私もまた貧困にあえいでいたかもしれません。それもまたよかったのかもしれませんが、今のように多くのお客様やお取引先、スタッフとご縁もなかったことでしょう。すべてのご縁に意味がある、どんな困難にも理由がある、何が起きても受け入れると心の底から思えるようになったことはお二人から得た最大の叡智です。

人気ドラマ、愛の不時着でも紹介されたインドのことわざ「間違えて乗った汽車が、時には(正しい)目的地に連れて行ってくれる」そのままの経験を経て、私は間違った列車に乗って、この素晴らしい目的地にやってきました。間違ったはずの汽車は、最初からここに続いていて、私の無意識はすべてを知っていてここにやってきたのかもしれません。

奥村さんの逝去は、晴天の霹靂であり、私も全く予想していなかったことです。この夏、私の大切な人を見送ることになってしまい、私はまたどの汽車に乗るかを考えなければなりません。ただ、一つだけ改めてわかったことは、恩返しは早ければ早いほどよい、ということです。何かしようと心のスイッチが押されたときに、その方がいないことほど悔やみきれないことはありません。


弔問後、佐野さんから頂いたお手紙に、当時、母乳が4日間出なかったことが記されていました。私はお二人が「大丈夫、赤ちゃんはお弁当をもって産まれてくるから、絶対に大丈夫」と言ってくださって、日増し減っていく体重を見ながらも100%それを信じていました。私が信じていたのは、その知識そのものではなく、その言葉を誰が話しているかということがすべてです。同じことを聞いても、その言葉の主の生き様があってこそ真実となります。お二人の言葉をそのまま受け取らなかったことは「へんこ」な私にも一度もなく、また今後もありません。私が仕事の上でも品物のブランド、スペックや表示、認証などではなく、誰が、どのように、なにに、どんな心で関与しているかを最も大切にしているのは、すべてこの経験から始まっています。奥村さん、私は、今までより一層、これからやってくる子どもたちのために、志を共にする人のために、その周りにいる、困っている人のために働きます。私の目的地はそこからずれることは生涯ありません。そのことを約束して、奥村さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

運命の人・嘉納 健男氏

奥村さん佐野さんからご紹介いただいた運命の人、それが嘉納さんです。当時、自然食問屋の営業マンだった嘉納さんは愛知県のお二人のお店「アルティー」さんに飛び込み営業し、「うちはさほど大きくないから、京都のここにいったらいい」と言われてプレマにやってきました。嘉納さんが人生をかけて広げているのが森修焼、オーブス、バイオノーマライザーです。私はいつでも品よりも先に、人を信じます。むしろ、それがすべてです。

追悼  奥村仁枝さん

- 中川信男の多事争論 - 2020年10月発刊 vol.157

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