初めての患者さんに、「なにか薬を飲んでいますか?」と聞いた際に、「自律神経がおかしくなってくると痒みが出て眠りも悪くなるので、痒み止めと睡眠導入剤を出してもらっています」と仰っていた。そして、別の方に、「なにに困っていますか?」と尋ねると「自律神経がおかしいんです」と訴えていた。
こんなやりとりに、私は正直もやもやしてしまう。それは、自律神経の異常を本当に自覚できるのかという率直な疑問があるからだ。医師である私に対し「医学的知識で答えねば」という暗黙の圧力を無意識に感じているのか。あるいは、メディアの情報でそう説明されるから、そうなのだろうと思い込んでいるのだろうか。
もちろん医学的には、自律神経の調整があらゆることにつながっているのはわかる。しかし、不快な症状を実感するとき、まずは痛い、重い、痒い、暑い、寒い、便秘や下痢、だるいといったシンプルな感覚で気づくのではないだろうか。「あ、これは自律神経だな」と不快を感じる訳ではないだろう。
そもそも、本当に自律神経が働かなくなったら生きていられない。交感神経も副交感神経も互いに補い合い、暴走しそうなら歯止めをかけ、なんとか自己を守ろうとしてくれているのだ。巷の情報で頭でわかった気になるより、素直に身体や心で感じるものを表現するほうがずっと自然だと思う。
頭の言葉より、身体の実感
また私は、どうにも病名のつけようがないと判断せざるを得ないときに、「自律神経失調症」という病名を稀に使うことがある。だがそれは、既存の病名には当てはまらないが、現に困っている自覚症状があるときだ。はじめから自律神経が壊れたという認識にはならない。
だからこそ、自覚症状を訴えるときも、なるべく素直にまっすぐに感じたものや不快感を言葉にするほうが無理がなく、齟齬も少ない気がする。医学用語で語ろうとするほど、実態とはかけ離れてしまいかねない。
また「早く良くなりたい」と切実に訴える方もいる。気持ちは痛いほど理解できる。状態が悪化しているほどすぐに治らねばと焦ってしまうし、情報過多で不安にさせる言葉に動揺もするだろう。
急な外傷や熱中症など早急な処置には西洋医学が極めて有効だ。しかし、慢性的な心身の影響で生じるアトピー性皮膚炎の悪化や難治性便秘、冷え性など、長く困っている症状には対症療法では根幹に手が届きにくい。焦って対処することが、かえって本当の困りごとを奥底へ追いやってしまうことも多いのだ。
五感をひらき、本能を呼び覚ます
自己治癒力を発揮して根幹を治すのは簡単ではなく、すぐ結果が出ないほうが圧倒的に多い。自覚症状と向き合うことは、現代社会のなかで「どう生きたいのか」という問いへの模索ではないだろうか。
地味な手当てやだれとなにを食すか、生活でできる工夫はなにか、負担をどう減らせるか。溢れる情報に惑わされず、心身を守る直感力を発揮しなにを選ぶか。地道な継続には相応の胆力がいる。込み入った状態の人ほど五感の力が弱くなっている気がするが、本来みな自分を守る力を生まれ持っている。匂いを嗅ぎ、手で触れ、安全か危険かを探って育ってきたのだ。動物は吐いたり下したりすればしばらく食べず、胃腸が落ち着いてから食べ始める。これも生き物の本能だ。
情報が多い今こそ、生き物としての本能を呼び覚ます暮らしが貴重に思える。土に触れ、風の匂いを感じ、水の怖さを実感しつつ心地よさを味わい、植物や木々の生命力をもらい、火の恩恵に感謝する。自然から離れない生活をしていたいとつくづく思う。
