飲み会に参加するなかで
霊長類でもっとも進化しているヒトがたべるものは、本来は完全植物性のものであるという考え方があります。人間は火を使って調理をしたりして、いろいろな食物を食べるように進化したといわれますが、考えようによっては、それは退化なのかもしれません。
さまざまな人間が集まるなかで、ヒトと短時間により深く知り合うためのツールとして、お酒があります。飲み会で気持ちよくほろ酔いになると、お酒の力をかりて、そのときの気持ちに素直にいろいろな話をできるようになります。そして相手と短時間に仲良くなることができます。相手に嫌なことを言われても、いつもより流せる自分がいたりします。
しかし、飲み会の席で食べ物をオーダーするときは、なかなか植物性のものだけというわけにはいきません。油や食材の安全性の心配もあります。本誌の読者のなかには、同じように困ったことのある方が多いのではないかと思います。そんなときに私はミドリムシやブロッコリーの成分のサプリメントを摂って、飲み会へ臨んでいます。また、雰囲気を壊さずにできるのであれば、お酒の酸性をアルカリ性に変えてくれるケイ素を入れて飲むこともお薦めです。もしそのようなことができない環境であれば、一番大切なことは食べたものをなるべく長くお口の中で唾液と触れ合わせることです。よくかむということです。仮に発がん物質であっても、唾液と混ぜ合わせることで発がん性がかなり抑えられるというデータがあります。
その場その場で相手にあわせて臨機応変に振る舞うのはとても難しいものです。自分を主張し「私はこうなのです」と断言した方が楽かもしれません。どちらの生き方を選択するかは本人次第ですが、精神的にも肉体的にも人それぞれ負担の少ないほうが、楽な人生を送れるのではないかと思います。どちらも選べない場合には、その場を楽しんで心地良く過ごせたら、なにを食べてもなにを飲んでも身体に悪い物は存在しない、という究極の考え方も実はあります。
自分を変える必要性
最近、禁酒をしながら飲み会を楽しむこともあります。いろいろな場面でちょっと枠からでてみるということがとても大切なように思うからです。嫌いな人とはあまり一緒にいたくないと、本能で拒否する自分がいますが、いつまでもそのままだと自分を変えることはできません。変える必要がないという考え方もあるかもしれません。しかし、自分を見るということが世の中のなにを見ることより難しいといわれます。また、今の自分の周りにある状況は自分が作り出したものだと素直に考えると、自分を変える必要性が少し見つかるかもしれません。
少ないながらも自分の経験から考えると、人生の変換をもたらすような大事なことは、嫌いな人からつながることが多かったと感じます。ほんのちょっと枠を越えて、もしくは自分を壊してみることが、新しい人や物との出会いになるのではないかと思います。本当は好きとか嫌いとかの判断をしないのが一番良いのでしょうが、悟りを開いたような人でも好き嫌いの判断をしてしまう場面があるのではないかと思います。
安定を求めるのはとても楽です。安定していつも同じ状態は、刺激がないために心は傷つかないのですが、前述のように考えるならば、不安定さを求めるべく、一瞬一瞬を大切に刺激的に生きるということが大切なのではないでしょうか。
新しい事を始めるときや自分の枠を外すときは不安が必ずついて回りますが、慎重にさらなる一歩踏み出してみてはいかがでしょうか。どんなことでも一生懸命に進めば必ず結果がついてくるだろうことを信じて。