前回、前々回は呼吸や気についてお話ししました。気のエネルギーは注意深くしていると熱気があったりビリビリとした感覚で伝わりますが、ほとんど目には見えません。そのため、感覚で伝わらないとなにも変化がないことになってしまいます。そういう意味では受け手側の感度が大変重要です。
目に見えないことの大切さ
世の中のいろいろな場面においても、実は目に見えることよりも見えないことのほうがとても大切で、そこに真理が隠されているように思います。
たとえば、歯の治療もそうです。最近ではお口の中にある金属は排除したほうが良いというのが一般的な傾向です。これは重金属イオンの流出ということにおいていわれています。しかし実は、詰め物をはずした瞬間にかみ合わせの位置が変わり、顎の位置が変わってしまい、治療をしたことで身体の調子が悪くなる可能性もあるのです。お口の中に入った詰め物や歯は外から見ることができますが、顎の位置やかみ合わせは目に見えません。
人の心遣いもそうです。「配慮」という言葉のうらには、その人が相手の想いを察し、その人のために行動するというエネルギーが動くわけです。これも目に見えず、感じることで気づくものですが、感じようとする五感が鈍いと気づけません。
今、一番必要な体験とは
いろいろな場面で瞬時に物事を理解するためには、知識が多いほどよいように思われます。しかし、パソコンやスマホで調べればいつでも答えが出てくる現代において、知識はそんなに必要ではなく、一番大切なことは小さいころから五感や第六感という感覚を鍛えるということなのではないかと思います。
ところが、最近は子どもの遊ぶ場所が少なくなってきています。数少ない公園では、ジャングルジムがなくなったり、ボール遊びが禁止されたりすることが多くなっています。ジャングルジムは身体の立体感覚を認識でき、この幅は身体が通るかとか、ここを通るためにはどのような身体の使い方をしたら良いかなどの経験ができるのです。仮に落ちて怪我をしても経験値は一つ上がるはずです。本当はそういう試行錯誤が、今一番必要なことなのではないでしょうか。
先日、人工知能(AI)と人間を比較検討するテレビ番組がありました。
その番組によると、マイクロソフトに勤めているデジタルを使いこなす人たちの一部は、デジタル機器を一切使用しない学校に子どもを通学させているそうです。なぜなら、人間が一番大切なもの、AIが取って代われないものとは、小さいころの実体験や痛み、人と人とのコミュニケーションのなかで感情のわずかな動きを感じ取り、それに適した言葉を相手に伝えるような、先述の「配慮」に相当する部分にあるからだそうです。実はこれも、目に見えないものなのです。
コンピューターが進化した現在において、子どもだけでなくわれわれ大人も含め、人間は今まで以上にデジタルを知り、使いこなさなければならない一方で、デジタルでは体験できない実体験からくる感情の変化なども体験する必要があるのです。人生におけるいろいろな経験が、すべてそうやって活かされるのだと思います。
私は昭和の人間なので、昭和、平成、令和と時代が変わるなかで、時代ごとの環境の変化に応じて、今まで正しいとされていたことが正しくないとされたり、逆に今まで間違っているとされていた考え方が正しいとされるようになったりということを見てきました。今、その場その場でなにが一番よいことなのかを考えることが大切な時代になってきたと思います。考え方にフレキシビリティーが必要なのが、これからの時代なのではないでしょうか。