ここのところのコロナ禍では、電車やバス、お店への入店など公共の場ではマスクが当たり前になってしまっています。これは人からの飛沫感染をある程度防止するとともに、自分が他人へ向けての飛沫を出さないような配慮からだと思います。医学的にどうかは別として、天気のよい日に外を歩くときには、状況を鑑みて、マスクなしで深呼吸をすることも大切なのではないかと感じております。
人の感覚は「思い」や「環境」によって変化してしまいます。たとえば今まではそんなことなかったのに、最近では電車の中で咳払いをしただけで、冷たい視線を感じてしまうこともあるのではないかと思います。これもそれぞれの頭のなかで、その思いが過敏に反応している状態なのです。なにも気に留めなければなにも気にならないわけです。そういう意味では、今私たちは、かなりのストレスを感じざるをえない環境にいることは間違いありません。また日本人が、皆に合わせる教育を受けてきたことの弊害も、一部顔を覗かせているのではないでしょうか。
このような環境で一番よいとされるのは瞑想や座禅をし、呼吸をみることです。瞑想していると、今日なに食べようかなとか、あの件はどうなるかなとか、あることないこと、妄想が膨らんでしまいますが、ひとつひとつの妄想を追いかけず、出てきたらひとつひとつを切っていくことが大切です。以前もお話ししましたが、数息観といって、ひたすら自分の呼吸をみて、その数を勘定することが単純でよい方法といわれています。十までいったらまた一に戻ることを繰り返すのです。ある意味、修行なのですが、なにかが自分に振りかかったときに3回呼吸をするという癖づけをすると、カッとなるようなことが起きても、怒るのもバカらしくなってしまうこともあるように思います。
当たり前の有り難さ
私が今まで経験してきたなかで、感覚が変わるのは先ほどの呼吸をみるということと、もう一つは断食(ファスティング)です。ファスティングはやってみたことがある方でしたらすぐにわかりますが、感度が鋭くなります。五感も冴え、さらには第六感もひらめくようになります。体内の細胞環境の代謝がうまく回らない状態が、ファスティングをすることによって細胞がうまく回りだし、余分な物がなくなり、本来の理想的な状態に戻れるのです。それによって病気も治ってしまうこともありますし、血液検査のデータなどは一新されます。いかに通常、添加物をはじめ人工的な物に毒されていたかもわかります。味覚も変わってしまうために、いつも美味しいと思って食べていた物が、よくこんなものを食べていたなという感想に変化するのです。少しずつ身体は毒され、それが習慣になって慣れになっていたのです。また、食べないという状態がしばらく続いたあとに食べ物をいただきますと、「ありがたい」という感謝の気持ちが必然的に生まれてきます。ファスティングの素晴らしいところは身体が軽くなり細胞レベルで環境がよくなることはもちろんですが、感謝の気持ちが生まれるところが一番素晴らしいところなのではないかと思っております。
インドへ行ったときに電気やトイレットペーパーなどがない環境で過ごしているときのティッシュペーパー1枚の有り難さ。今の日本のなんでも手に入る過保護な環境下では、なかなか気づくことがないまま、惰性で流されてしまう人がほとんどでしょう。
身の回りの物や事を一掃して、新たな環境作りを始めると、また別のなにかが動きだすのではないでしょうか。
昨年より私のような者がファスティングマイスター学院の歯科医療顧問となり、お恥ずかしいかぎりですが、昔の体験を思い出すよいきっかけをいただいたと感謝しております。