子宮口の開き具合は、医師や助産師が膣の奥まで指をつっこむことで測ります。妊娠中は、早産を防いだりお産の時期を推し量るため、分娩中は、お産の進行を確認するためチェックされますが、当然、あまり愉快なものではありません。
だからでしょうか、助産院での内診は、とてもやさしいものでした。その一方で、大病院の4人の医師の内診は、腰が逃げるくらい痛いこともあったり、物のように扱われる印象。正確を期すためなのかもしれませんし、医師は、相手の感情や感覚に配慮する訓練を受けないだけなのかもしれません。
子宮口が3センチ開いていれば、陣痛を誘発するためのバルーン(水風船)を挿入せずにすむと言われていたので3センチを目標に自然な陣痛促進に励み、内診時にちょうどそれくらい開いていたので、やった、バルーンは免れた~と喜びかけたのに“念のため”入れられた、のが前回の展開。その後は医師に、トイレに行くと落ちるかもしれないから、落ちたら看護師を呼んでください、と伝えられました。
実際、トイレに行くと抜け落ちたので、少しだけ血の付着したそれを見せ、また内診されて、もういいです、で、終了。入れていたのは、晩ごはんの前後、2時間くらいでしょうか。果たしてなんのために入れられたのか……。いや、最初から“念のため”なのですが、膣口から風船の持ち手のプラスチック部がぶら下がり、ベッドに座るのも不自由だし、ものすごい異物感。しかも鈍い痛みがあります。自然な陣痛は上からくるけれども、水風船の痛みは下からやってくる。ありえない……。かなり、心が折れました。おなかの子も動揺しています。
鈍痛だけでなく、心理的に大きな負担となったのが、抗生剤の服用です。「飲みたくない」は許されないでしょうが、晩ごはんのあとで飲むように渡された薬を前に、わたしは本気で悩んでいました。子宮口に異物を入れることでの抗生剤の処方を予想していたら、かわりとなるレメディをもってきたのですが、何年も薬と縁がなく、可能性すら思い至っていなかった。飲んだふりしてやめたとして、病院では食も乱れてるし、何か炎症が起きたらもっと大変……。毒をくらわば皿まで、の気分で、えいっと飲みました。お産がわたしの手を離れた、と思った瞬間でした。
妙な鈍痛+抗生剤で気分が落ちていたとき。看護師がカーテンをあけて言ったのが、「夜中に始まるかもしれないから、“念のため”点滴の針を刺しておきます」。わぁびっくり。まだ風船に慣れなくてつらいので、と断ると、驚かれましたが(あときっと、手が空いてるときに終えたいのに迷惑な、と思われたと予想しますが)、引いてくれました。のちほど刺された針は、そのあとずっと痛かったので、水風船と二カ所攻めにされなくてよかったです。ちなみに大病院の看護師さんは、どれだけ冷たい手でも平気でおなかを触ってきます。助産院ではおなかが冷えないよう常に配慮があったので、それも、大きく違ったところでした。
バルーンは落ちたし、あとは朝までに陣痛がつかなければ、促進剤の投与となります。夜のあいだに、ばれないように病院の階段を上り下りするといった荒技を試すにも、わたしは“念のため”帝王切開に備えねばならず、夜9時をすぎると水分がとれません。冬の病院は暖房で乾燥していますから、水を飲めないだけでもかなり消耗します。無理をすると産みきれなくなりそうなので、激しい運動は断念しました。
その夜は搬送の妊婦さんがいて、自分のいる空間のすぐ向こうで人がずっとバタバタしていました。“念のため”刺さっている針がじゃまで、自然な陣痛促進活動もやりづらい。さらにおそらく、わたしのメンタルが枷となりした。うちの子はみんな低出生体重児ですから、大病院では、産んだあと自動的に引き離されます。取り上げられると思いながら前向きに産むのは難しい。分離不安のレメディなどもとったのですが、もう少しで陣痛になりそうな痛みはあっても、そこまででした。
満足に眠れぬままに朝がきました。誘発はちょっと眠ってからにしてほしいと伝えると、終わってから眠ればよいとの回答。暗澹たる気分で、手術台となる分娩台のある部屋に向かいます。
次回に続きます。
望月 索(もちづき・さく)
病院食は旨味がなく砂糖の味でした。持ち込みが重宝しました。
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