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オディの農業日記

羽鹿 秀仁 (はじかひでひと)

サラリーマン、経営コンサルタント、青年海外協力隊の隊員として中米のニカラグア、パナマで5年間活動後、ネットワーク『地球村』というNPO団体のスタッフとしてアフガニスタン支援に3年関わり、2006年から三重県名張市赤目で農薬を使わない農業を始める。

【Vol.15】オディの農業日記 第8回

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【稲刈り終了】
  9月12日にスタートした稲刈りが、10月8日にやっと終了。約1ヶ月かけて稲刈りをした計算になります。私がお米作りをしている面積は約5反。刈り取りから脱穀まで一度にできるコンバインという機械を使えば、1日で刈り取りを終えることのできる広さです。しかし今年は手作業にこだわってお米作りをしたいと思って、友人たちにも手伝ってもらいながら手作業で稲刈りをしていきました。

 稲刈りが終了したときは体ががたがたになるくらい疲れていましたが、一方では自分が生きていく力に少しだけ自信が付いてきました。
先日、父(73歳)から昭和30年代の話を聞きました。その頃、農業機械はほとんどなく、すべて手作業でお米作りをしていたそうです。梅雨明けにため池の水を抜いて田んぼに引いて、牛で田んぼを耕し、家族総出で田植え、草取り、稲刈り。作業の合間には牛に食べさせる草刈や家の台所、お風呂で使う柴刈り。年中、休む暇なく家族全員が働いていたそうです。
特に、稲刈りの時期は日の出とともに動き出し、日中は稲刈り取った稲を藁で縛り、月明かりではざにかけていたそうです。そんな日々が1ヶ月以上続いて、稲刈りが終わったら収穫、農繁期が終わった喜びにあふれて、村祭りがあったそうです。

  日本の高度成長期を支えた父たちの世代、日本人はお米作りで培った体力、忍耐力とハングリー精神があったのだと思います。だから第二次戦争終了後の逆境の中から奇跡の復興を成し遂げることができたのかもしれません。

 石油価格の暴騰、サブプライム問題をきっかけとした経済混乱、地球温暖化による気候変動、これから時代は大きく変わってきそうです。その中で日本人が生き抜いていけるのか、父たちの世代と今の日本人を比べると少し不安になります。

 土を耕す力、食べ物を作る知識、ほんの少しだけでも体験しておくと、生きる力に自信が付くのではないかと思います。これからそんな自信や体験が必要になる時代になるのではないでしょうか。

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- オディの農業日記 - 2008年11月発刊 Vol.15

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