不思議な発芽
「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」。外的要因などによりたまたま勝つこともあるけれど、負けたときは必ず負ける理由があるはずだ。こんな意味でしょうか。江戸時代の剣術の達人、松浦静山の言葉として残されています。プロ野球の野村克也元監督の言葉としてご存じの人もおられるでしょう。
自然界で不思議といえば、発芽。生物学では、種子の発芽には温度・水分・酸素が必要で、この3つが最適な条件になったときに発芽するといわれていますが、実際に発芽するタイミングやメカニズムについては、まだ解明されてない部分が多いようです。先ほどの言葉からすれば、たまたま芽が出ることはあるけれど、枯らせたときには必ず理由があるというところでしょうか。
種を蒔けば、なぜだかわからないタイミングで芽が出ます。芽を出せば成長し、花を咲かして、実をつける。注意しなければならないのは、芽が出たときには脇芽を摘んで主となる枝を伸ばしていくこと。いくつもの苗が同時に育つようだと、一定のエリアごとに間引いていく必要があります。そうしなければ一斉に成長していったとき手をつけられないほどになったり、互いが光も水も足りずに、結果、枯れてしまうことにもなりかねません。
現代社会では人間関係のご縁を拡げることも「種を蒔く」と表現しますね。同じように、拡がった関係が深まっていくことで、人から注目される成果を出して、実りをいただくようになります。だけど、ときには優先順位をつけ適切に選り分けもしていかないと、収拾のつかないことにもなりかねません。
忙しいとは
国、唐の時代の禅師の言葉には、「汝は一二時に使われ、老僧は一二時を使い得たり」とあります。あなたは時間に使われている、使われるから迷う、老僧になれば時間を使い切る、自分が主人公となって時間使えばよいのだ、ということです。あれもこれもやろうとして、やりっぱなしでやり切れない。何かをしながら別のことをやろうとして、なにも仕上げられない。時間を使っているつもりが、逆に時間から使われてしまう。忙しいという字が「心」を「亡」くすと書くように、「忙しい」と口にすることで、丁寧に向き合う心を忘れて、物事が雑になっていくことをいうのでしょう。
いい加減は「良い加減」
現実がうまくいくと自分の能力が高いのだと傲慢になるし、うまくいかないときは他人や世の中のせいにしたくなるもの。本当は、物事が都合よく進んでいくときは偶然であるかもしれないし、うまく進まないときほど、わが身を振り返ってみるのがよいのだけれど。そんな謙虚な気持ちも忘れずにいたいものです。 そのためには、ある程度は自分の力量というものをわきまえておくこと。いい加減は「良い加減」。できることを堅実にこなしていくことで人からの信頼を得られるようになる。力量をわきまえない「いい加減」では、すべて中途半端で雑なことが増えていき信用を失います。広げるばかりが風呂敷ではありません。ときには折りたたむ勇気も必要なのです。
選択と集中
現実的に抱えていることがいくつもあると、必死になって仕上げようとしてしまいます。そんなとき、できないからといって命までは取られないと知っておいて損はないでしょう。一方、無理してやり続けることは、命を縮めるほどに心身を酷使することになりかねません。
良い人になろうと、人の意見に振り回されるのではなく、ときには無視してみるくらいのふてぶてしさも必要かもしれません。自分にとって、なにが欠けていて、なにが本当に必要か、一つのことに絞り込んでみるのもいいでしょう。なにかを選択できなければ、なにかに集中することもできない。なにかに集中できなければ、なにかを仕上げることもできないのです。最も大切だと思えること以外を諦めてみる。それが、覚悟をもって生きるということにつながります。
圭鍼灸院 院長 鍼灸師
マクロビオティック・カウンセラー
西下 圭一(にしした けいいち)
新生児から高齢者まで、整形外科から内科まで。
年齢や症状を問わないオールラウンドな治療スタイルは「駆け込み寺」と称され医療関係者やセラピストも多数来院。
自身も生涯現役を目指すアスリートで動作解析・運動指導に定評がありプロ選手やトップアスリートに支持されている。
兵庫県明石市大久保町福田2-1-18サングリーン大久保1F
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