ある人を失うかもしれないというのは、まわりの人にとっても劇的な状況です。だから「何かをやらなきゃいけない」「何もできなかった」と思いがちです。でも、まわりの人間がすべきことは、実は特別なことではないんです。
どうやら普通の病気じゃない、とわかってきたときが、周囲にとって最初のタイミングです。本人が付き添いを望むタイミングには好みがありますが、いずれにせよ告知を受けるときには、誰かが付き添いましょう。本人は衝撃が大きすぎて、詳しく論理的な説明を受けていても、感情的にその情報を受け止めきれなくなることがほとんどです。代わりに必要なことを聞ける人が必要です。
そのときに、励ます必要はありません。何を言っても大した効果はないですし、本人にしてみれば、いてくれるだけのことがすごく支えになります。とはいえ、ちょっと落ち着くくらいのことにしかなりませんが、行き帰りを共にしたり、ちょっと食事をしたり話をしたりする、そばにいることに意味があるんです。
次には、何かを決めるタイミングがやってきます。治療の進め方、例えば仕事をどうするかなどその先のこと、病気の話を誰に伝えるかなど、1人で引きこもっていると決められないことを、話しかけて会話を続けながら、本人が決めていくお手伝いをします。
そこから入院して治療を続ける、手術になっていくタイミングには、いろんなものをそろえる必要がある。準備や買い物に関しては、本人の手が回らなければ手伝います。また、看護師や医師は、その人の手術のことを責任もって説明するべき相手……キーパーソンと呼ばれる付き添いを必要とします。
退院して通院が始まると、体調のよしあしの波が大きくなります。要介護の高齢者とはまったく状況が違い、がん治療中は体調がよければ以前とさほど変わらない人も少なくありません。が、体調が悪ければ八つ当たりをしたり、孤独感が生まれます。そこで関係が途絶えたり、けんかをしたりする。でも、相手が怒ったり攻撃的だとしても、体調が悪いから、がんの治療の先が見えないからだというふうに、いい距離でものを受け流す姿勢が必要です。そのときをうまく乗り越えたら、逆に雨降って地が固まることもあります。
だんだん亡くなりゆく過程をとる方には、起こっている事実を前向きに受け止められるように捉え方を変えてあげましょう。例えば余命2年と言われたとしても、物は考えようで、その短さを嘆くのではなく、あと2年間これだけのことができると一緒に考える。行った病院が悪かったなどと悪者探しはせずに、それでも医師も看護師も遅くまで一生懸命やってるよなど情報をいいほうに受け止められる言い方を心がける。さらに自分の不安は自分の中に押しとどめる。
それを大変と考えないで、自分にできることはそれなんだと考えましょう。大変な時期に懸命に関わることで、むしろ自分の後悔を減らせます。今日はたった1時間で帰るという日にも、話せたこと、嬉しかったことを大切にすると、その1時間は何もできない悲しいだけの時間ではなく、今日も会えていること自体を喜べる、価値ある1時間になります。
ただ本人がすごく痛く苦しいのに周囲が前向きでいるのは難しい。痛みの緩和は充分できることなので、体の痛みや辛さは医療機関にしっかり取ってもらい、そのうえで本人を支えてください。
残された時間が明らかになった方には、自分の気持ちでなく、相手の気持ちや体調に配慮します。直接会うのではなく手紙を届けたりその人の家族を支えたり、親戚や家族でも遠慮する必要も出てきます。例えば辛いから治療を続けたくないという70歳の父親を見た40才の子どもが「お父さんを甘やかさないで、治療を受けるように言ってよ」と母親を責めるようなことがあると、つらいのは患者さんです。一番大事なのは自分の希望や辛さではなく、本人の希望をみんなで支えること。実は日常にも起こっている、生き方の問題となっていきます。
<文:らくなちゅらる通信編集部>
談:賢見卓也(けんみ・たくや)
1975 年、神戸市生まれ。兵庫県立看護大学看護学部卒業後、東京女子医科大学病院中央集中治療室などに勤務。日本大学大学院グローバルビジネス研究科ヘルスソーシャルケアコースを修了し、2009 年、がん専門生活サポートを行なう株式会社トロップス代表取締役に。2013 年、NPO 法人「がんと暮らしを考える会」理事長も兼任。同NPO法人監修で、がん患者の経済的な問題に関連した制度を検索できるWEB サイトも立ち上げる。 |