回って産まれる
先号で、動物と、動物としてのヒトが「生物学的な成り行きで母親になるメカニズム」について書きました。
今号でも、角度を変えて触れてみます。
ヒトは直立歩行をしたことによって、難産になったといわれます。
背骨の形が変わり、骨盤の形が変わり、頭が大きくなりました。
そして進化の過程で獲得したものと引き換えに、多くの動物より難産となっています。
人間の子どもは「回旋」しますよね。
骨盤ギリギリまで大きくなった頭、そのあと肩を外に出すために、回りながら生まれてくるんです。
最初それを知ったときは、へー!自然ってなんてよくできてるの!と感心したものですけど、例えばおサルさんには回旋がない、と聞いて、もっとびっくりしました。
回らず、母と目を合わせる向きでするんっと生まれて、そのまま母が抱きとるんですって。
ヒトの場合は、回っているから母と目が合う向きでは生まれない。
あさっての方向を向いていて、首もすわらず骨も柔らかい、しかも湿って手が滑りそうな赤ちゃんを、母が産みつつひとりで抱きとるのはいかにも難しそう。
アフリカなどにある自然の残った国では今でも母ひとりでこっそり産む、というような文章を読んだことがあるからやれるのかもしれませんが。
でも一般には難しくて、介助が必要な可能性が高いです。
赤ちゃんは画面からは学ばない
ヒトは宿命的に難産。
というとき、助けてくれるのがホルモンです。
お産が大変になったぶん、報酬系の回路が盛り盛りに獲得されたわけですね。
そうじゃないと産まなくなって絶滅しますものね!
自然に産むときは、先号で触れたオキシトシン以外に、β-エンドルフィンが大活躍します。
複数の脳内麻薬がばんばんでる結果として、自然なお産は気持ちがいいわけです。
無痛分娩と自然分娩では分泌されるβ-エンドルフィンの量が全く違うのは測定されているので、中途半端な和痛分娩は忘れないし痛いだけ、というのは数字でもわかるんですね。
ほとんどの妊婦が無痛分娩を選ぶ国もあります。
が、痛みに関する不安や恐怖はそれで払拭されても、喜びや達成感の面ではナチュラル麻薬にはかなわないわけで。
医療介入が多ければ母子の絆が獲得されないなんてことは全くないのは、血の繋がりがなくても母子の“本能的な”絆が確立されると前回書いたことを考え合わせれば一目瞭然ですが、理性が活躍する状態で産んだあと、そのまま理性的な子育てに突入する、というケースもあるように思えます。
すると、原始感情を味わった身には「愛着」の形が不思議に見えるような例もあるんです。
例えば、なかなかレアな高齢出産で授かったご家族ですが。
ママは産後休まず忙しく在宅ワーク。
仕事部屋の隣の部屋に赤ちゃんを寝かせ、その赤ちゃん部屋をモニタリングしていました。
そばにいないのね……?
代わりに、赤ちゃんのそばにはテレビが置かれています。
赤ちゃんは画面から学ばないので(ですよ!人から学びます)、言葉の発達には明らかに不利ですね。
大切だからこそモニタリングするし、寂しくないようにテレビを置くのだと思うのですが。
とりあえず、すべての母は、一度は頭を空っぽに、原始感情に身を任せてみたいですね。
そうしていたら、ヒトに備わる自然のメカニズムが最大の味方になってくれます。