年を重ねるに連れ、少しずつ身体に不調が出てきたり、体力が低下したりしてくることを実感している方もいらっしゃるでしょう。また、大きな病気や痛いこと、辛いことを経験すると、元気な人を羨ましく思ったり、過去に執着したりするものです。
「健康」は損なわれたときに初めて痛感するもの。今のところ、私は怪我で膝が曲がらないということはあるものの、お陰さまで日常生活では概ね不自由のない状態なので、まったくもって普通に生きられています。それでも、加齢とともに健康を考えるようになってきました。もっと広い視点で見ると「生きていることは幸せだ」と思うようになりました。
息をしているだけで幸せ
あらためてこんな話をするには理由があります。本当はだれかに聴いて欲しいと思いつつ、鬱々としながら一年が過ぎてしまいましたが、2020年の年末、実の兄が病でこの世を去りました。正確には12月30日、奇しくも私の56才の誕生日でした。コロナ禍ということもあり、家族でひっそりと見送りを済ませました。学年で2年違う二人兄弟で、兄は常に私の前を歩き学校や習い事など共にしてきました。職業も同じ歯科医師。少しクセのある歯科医師として、悩ましい症例を相談しあったり、新しい治療法があれば一緒に勉強会に参加したりと、真実を追求しつつ切磋琢磨してきました。性格はまったく正反対で、ときにはぶつかり合うこともありましたが、だれよりもお互いが信頼し合える同志だという思いで生きてきたように思います。私は石橋を叩いても渡らない、なんなら自分でさらに石橋を作るような慎重派ですが、兄はこうと決めたらズンズン真っ直ぐに突き進むタイプ。曲がったことは大嫌いで、鋭い切り口で敵も多かったと思いますが、本当に真面目で歯科医師という仕事を心から愛し天職とし、短いながらも人の3倍を生きたような人生だったと思います。私たち家族は、兄の早過ぎた死をそう理解しています。今、数名の兄の患者さんを私の病院で治療させていただいていますが、その方たちの治療をしているとき、見守ってくれている兄の存在を確信しています。兄は健康の大切さを身をもって教えてくれたのでしょう。
人は(私は)ついついストレスが加わると暴飲暴食となり健康を見失いやすくなりがちですが、50代半ばを過ぎると、人はいつ死んでもおかしくないのだろうなと感じるようになりました。本当にちょっとしたことで、命を失いかけないなと思うようになりました。そのためなにか嫌なことや辛いことがあっても、病気で寝込んでしまっていても、生きているだけで幸せだなと思えるようでありたいと思っています。いじめや仕事仲間とのいざこざ、家庭内の人間関係などいろいろなところでストレスを感じる社会ですが、今、息をして生きているだけで、もう充分、私たちは幸せなのです。
デジタル化で広がる可能性
昨年末に当医院も歯科医療機器のデジタル化を進め、3Dプリント技術を導入しました。これまでは修復物を作るために粘土のような材料で、お口の中を型取りしていました。今後は製作物の種類によりますが、カメラで撮影するだけで、コンピューター画面に削った歯が現れ、そこにセラミックを設計し削り出して作れるようになりました。これまで仕上がるのに2週間を労していたものが最短ならその日のうちに製作物を入れられます。多少の診療時間は必要ですが、これなら遠方の患者さんに対しても有効です。
時代の流れはとても速く、新しい設備や技術は次から次へと出てきますが、今後も、それら一つひとつを丁寧に取り入れながら自分のものにして、みなさまのお役に立てたらと考えております。