「ノイズ」という言葉を聞くと、電気的な雑音や騒音を思い浮かべる方が多いかもしれません。しかし、私たちの暮らしのなかには、耳では聞こえないノイズがたくさんあります。むしろ、耳には聞こえないノイズのほうが圧倒的に多いと知っておく必要があります。例えば、SNSから絶え間なく流れ込んでくるだれかの怒りや断定、スマートフォンや家電から発せられる電気的な刺激、人工的に強く作られた香り、舌や脳を過剰に刺激する食べもの。どれも一つひとつは小さくても、毎日、長時間、無意識に浴び続けていれば、心も身体も休まる暇がありません。
私は数年前から、仕事で必要なアカウントを除いてSNSとはほとんど関わらなくなりました。仕事に関係する人の投稿や情報もあるからと、いくつかのSNSにアカウントを作り、そこでやりとりをしていましたし、タイムラインも眺めていました。しかし見ていると、心が疲れるのです。そこから離れてみて初めてわかったことがあります。焦燥感やネガティブな感情が驚くほど減り、時間の使い方までが劇的に変わったのです。SNSを見ていたころ、特にしんどかったのは、世界で起きている戦争や政治について、「イスラエルだけが正しい」「ロシアだけが正しい」「トランプ大統領だけが正しい。反対する人はなにもわかっていない情弱で、真実を見ようとしない価値のない人間である」というような、極端で断定的な投稿を知人たちが次々と発信しているのを見ることでした。もちろん、だれがどの国を支持し、どの政治家を評価するかは自由です。ただ、その言葉の背景には、実際に家族を失い、家を失い、命を奪われている膨大な数の人たちがいます。画面の上で善悪を二つに切り分け、真実だ、陰謀だと語る言葉を見るたびに、その陰にいる人たちを想像してしまい、私は深い絶望感に陥ることがありました。しかも、そうした投稿には根拠が十分に示されないまま、「真実を知っているのはこちら側だ」という強い言葉が並びます。それを毎日読んでいるうちに、世界そのものが以前より醜くなったように感じていました。しかし世界が急に変わったのではなく、私が世界中の怒りや恐怖を、手のひらの小さな画面から休みなく受信していただけなのかもしれません。
SNSから距離を置くことは、世界から目を背けることではありません。必要なニュースは自分で取りに行けばいい。異なる立場の情報を静かに読んで、自分で考えることもできます。むしろ、SNSの世界では望まなくてもだれかの怒りに引っ張られてしまうのです。少なくとも私は、他人の言葉によって心身を消耗する時間を、自分の意思で減らすことができました。これこそ、有害なノイズから遠ざかるということなのだと思います。
少し面白いこともあります。私は以前から、有害電磁波をとても気にしている人が、一日のかなり長い時間をスマートフォンやSNSに使っている姿を何度も見てきました。電磁波を避けるグッズを身につけ、5Gや基地局を怖がりながら、その手には朝から晩までスマートフォンがある。そしてSNSを開けば、電磁波の恐ろしさについて猛烈な勢いで投稿している。数年離れたあと、たまにそうしたアカウントを見ると、以前にも増して大量の投稿が並んでいて、失礼ながら少し滑稽に感じてしまいます。
現代に溢れるノイズ
有害なのは電磁波だけでなく、その画面から同時に入ってくる怒り、恐怖、比較、羨望、正義感、焦り。それらもまた、かなり強力なノイズです。しかもこちらは、測定器がなくても自分の心を観察すれば影響がわかります。健康に真面目な人ほど、目に見える添加物には敏感なのに、目に見えない感情のノイズには無防備なことがあります。しかし、怒りや恐怖を何時間も浴び続けたあとに、身体が軽くなる人はあまりいないでしょう。なにを身体に入れないかだけでなく、なにを心に入れないかも、同じくらい大切なのだと思います。情報にも、食べものと同じように、選び方があってよいはずです。
香りや味も同じです。いい香りだからといって、強い香料を一日中まとっていれば、鼻は休まりません。食べものも、甘さ、辛さ、うま味、香りをどんどん強くすれば、一口目の満足は大きくなっても、やがて穏やかな味を感じにくくなります。人間は刺激を足せば足すほど元気になるわけではありません。むしろ疲れているときほど、なにかを足すより、なにを減らすかを考えたほうがよい場合があります。現代においては、なにを減らすのかを選択できる知識と意志が重要だともいえるでしょう。
SNSから離れて数年、私は以前よりSNSに依存する人たちが作り出す『世界』を知らなくなったのかもしれません。しかし、そのぶん自分の目の前にいる人を見られるようになり、一緒に時間を共有することの大切さを思い出しました。目の前の仕事を丁寧にできるようになり、なにより自分の心がなにを感じているかがよくわかるようになりました。
ノイズのない暮らしなど、おそらく不可能です。私たちは電気も使いますし、スマホも使います。社会の問題から完全に離れて生きることもできません。それでも、自分で選んで遠ざけられるノイズはいくらでもあります。なにかを足して元気になることばかり考えるのではなく、疲れているときには、まずひとつ手放してみる。そんな暮らし方も、これからの時代にこそ、必要なのではないかと思っています。
