「人前で感情を出してはいけない」は、一体誰のため?
ときどき人前で感情をあらわにする人を見かける。頭では「子どもみたいで格好悪い」と思いながら、心では「羨ましい」と感じている。思考と心のギャップを埋められずイライラしてしまう。
人前で感情を出してはいけない。そんなルールはどこにもないのに、心では悲しみを感じながら、身体では笑おうとする。怒りを感じても、人前だという理由で押し隠そうとする。そこには暗黙のルールがあるのか、私だけではなく多くの人が感情に蓋をして、その場をやり過ごそうとする。表現されなかった感情は身体に溜まる。身体の緊張となって、表現される日が来るのを待っている。
先日、海外でダンスのワークショップに参加した。内容は感情を踊りで表現し、感情を解放していくというもの。例えば「恐れ」を身体で表現していくと恐れの感情が出てくる。そして、私の恐れは「人に受け入れてもらえない」ことだと気がついた。そのまま踊り続けていると、怒りがこみ上げてきた。私はこれまであまり怒りを感じたことがない。怒りの感情を味わいながら全身で表現したり、大声で叫んでみたりした。すると、とても心地よく、全身に力がみなぎってきた。
私は人に受け入れてもらえないことが怖くて、人に評価されることに一生懸命だった。孤独になるのが嫌で、自分の怒りや悲しみなどの感情を味わったり、表現したりすることをしてこなかったのだ。それに気づいたとき、涙が溢れてきた。私は暗黙のルールを破った。数十人の前で子どものように顔をくしゃくしゃにして泣いた。数十年ぶりに自分のために流した涙だった。
人前で涙を流してみて気づいたことがある。身体から余計な力が抜け、あり方が少し柔らかくなった。そして、初めて自分の身体に血が通ったような感覚があった。「やっと身体を自由に使える」と身体が私に語りかけてくるようだった。
この体験がきっかけで、「嫌だ」と感じたら、その感情を説明して断れるようになった。意外だったのは、その言葉を人は受け入れてくれる。なぜ感情を出すことを怖がっていたのか? 拍子抜けしてしまう。身体に溜め込んでいた感情が、ふとしたきっかけで出てくる。話していて突然泣き出したりするので、家族はびっくりしているが、私は子どものように感情を出すことを楽しんでいる。子どもみたいで格好悪くて結構。他の暗黙のルールも破ってやる。