前号で1949~1974年ごろに生まれた「団塊の世代」が75歳以上となるときに起こる「2025年問題」について書かせていただきました。2025年ごろを境に国民の5人に1人が75歳以上となり、納税をする側から医療や介護を受ける側に回り、それを支える生産年齢人口(15~64歳)は減少します。政府の推計によれば2025年度には国民医療費は54兆円に達するとされています。
国民皆保険制度とは、すべての国民が何らかの公的医療保険に加入し、保険料を出し合い、お互いの医療費を支え合う仕組みです。国民誰もが3割の負担で保険診療を受けられることは日本では当たり前ですが、海外では民間保険が中心の国や、無保険の国民を多く抱える国もあります。日本の国民皆保険制度に対する評価は高く、世界に誇れる制度といわれます。確かに、生活水準にかかわらずお年寄りも子供も安心して医療を受けられるのは素晴らしいですが、その制度は破綻寸前です。
重要なことが抜け落ちている
2025年ごろに人口のバランスが変わることも問題ですが、もっと重大な問題は、いつでも安い費用で医療を受けられる制度によって自分の健康について深く考えなくなり、病気になっても病院に行けば何とかしてくれると思い、病気を重大なことと捉えない人が多くなった印象を受けることです。
今の保険制度では、受給者は受けたいだけ医療を受けることができ、医療サービス提供者はその分の出来高を受け取れる仕組みになっています。その結果、保険料と税金で賄われている財源を無制限に取り合う構図が生まれています。財源の範囲内ならそれで良いかもしれませんが、不足部分は国債という次世代のお金で補っているのです。
こんなことを言ったり聞いたりしたことはありせんか?「病院で薬をもらう」「せっかく病院に行ったのに薬がもらえなかった」「念のために抗生物質を出しておきます」。しかしながら、発熱はウィルスを攻撃する体の防衛方法ですし、腹痛で下痢をするのは悪いものを体の外に出す手段です。不必要に解熱剤で熱を下げたり、下痢止めで症状を抑えたりするのは本末転倒ですし、抗生物質の誤った使用や過剰処方は、抗生物質耐性菌の発生につながると考えられます。しかも、その「もらった」感覚で手にした薬は、破綻寸前の財源で賄われているのです。
もし自己責任だったら?
もし病気を自己責任とされ、各自で対処しなければならないとしたら、多くの人は生活習慣や食べ物に気を配り、病気にならないよう心掛けるのではないでしょうか?
日々の支出は大きくなるかもしれませんが、病気になって医療費を支払い、仕事に支障が出て生活が不自由になることを考えれば、結果的に安く済むかもしれません。自分の健康に気を配っている人たちからは、「病気にならないように気を付けているのだからその分保険料を安くしてほしい」というつぶやきが聞こえてきます。
アメリカでは西洋医療の他に、薬を使わず食事やハーブによる自然療法をおこなう自然療法医と、その治療を受ける人が増えています。また日本と違い、各自で必要な医療保険を選び、加入します。そのなかには自然療法医の治療を含めた代替医療をカバーする保険もあります。アメリカで暮らす私の友人の多くは、病気にならないように考え、行動しながら、もしものときに受ける治療を選択し、それに見合った保険に加入しています。個々の選択で保険料も変わるので、自分の健康に対して真剣にならざるを得ないのです。
日本の医療技術と保険制度は素晴らしいものです。そこに自分の健康をしっかり考える仕組みを取り入れることができれば、さらに素晴らしい制度になるのではないでしょうか?