「お触り」って語感に、なにかを期待してしまうが、
期待以上の世界が広がっていた
「触れないでください」「お静かに願います」と、美術館に行くと必ず書いてある。だから、行儀よく鑑賞して、一緒に行った妻とも、作品の前で感じたことを伝え合うこともできない。価値の高い作品を守りつつ運営していくためには、仕方がないのだろう。しかし、監視員までいる緊張下で感性を解放してアートを感じるのは少し難しい気がする。
私はダンスの身体表現の延長で絵を描き始めた。絵を描くことは「自己解放」であり、「発散」だ。誰かが私の絵を見てなにかを感じたり、喜んでもらえたりすると、身体の内側から喜びが溢れてくる。その喜びから次の絵を描く。その「喜びの循環」を多くの人にも体験してもらいたい。オルタナティブアートギャラリー※で始めたように、街中にアートが溢れて、思わぬところで出会ったアートに感性を刺激されるような環境を作りたいと思っている。
先日、三木市の地域交流スペースで絵の展示をした。ギャラリーのように絵を吊るす展示設備がないので、絵を壁に立てかけた。「絵を吊るさないなら、絵が落ちる心配がない」と思って、実験的に「お触りください」と掲示して、来場者には「絵の向きを変えても、絵に抱きついてもOK」と伝えた。
来場者を観察していると、恐る恐る絵を触っていた人も大丈夫だとわかると、絵の向きを変えたり絵を抱えてみたりして、いろいろな方法で絵を感じようとしていた。小学生たちが来たときは、「この絵は○○に見える」と矢継ぎ早に伝えられて大変だったが、「自由に絵を描いてみたい」という子が出てきて、その場でお絵描きが始まった。
そうこうしているうちに、知らない人同士が絵を前にして、感じたことを伝え合い始めていた。大人になると「感じたこと」より「考えたこと」のほうが評価され、感じたことを伝え合うことが難しくなっているように思う。だから、その光景がとてもあたたかく眩しかった。そして、その人たちの目がキラキラしていて、少しスッキリしているようにも見えた。まさに絵を描いたあとの私の状態に似ていた。感じたことを表現して受け入れられる場さえあれば、誰もがアーティストになれるんじゃないだろうか。プロフィールに「アーティスト」と書いている自分が恥ずかしくなる日がくるかもしれない。
※弊社飲食店の壁面に作品を展示し、食事を楽しみながらアートも楽しめる、五感をフル動員して楽しんでいただける特別な空間。