子から親へのギフト
月経血コントロールの講座付きお茶会をおこないました。その会で30代前半の方から、いくつまでに産んだほうがいいですか、とのご質問をいただいて。私の答えは、いや一般的にもそうかと思いますが「できるだけ早く産んだほうがいい」です。自分はできていない、というのもいつも言い添えてます。
「自然なお産」の理想は、医療介入のないお産だと思います。が、自分が不本意な医療介入を経験し、自問自答しつつ見聞も深めると、医療介入がその親子にとって「自然」であるケースもあると考えるようになりました。長くなるので割愛しますが、生まれてくる子は本当に親思いで、母には見渡せないギフトをもたらすために、親の希望とは別のかたちを選ぶこともあると感じます。私もそのギフトを受け取ったことを数年かけて知りました。
ただそれを理由に選択肢が減る現状は肯定しません。医療による新生児死亡率激減の恩恵は受けつつも、産む人と生まれくる人のQOLを守るため、不要な医療介入を避けるためには、早めに産んだほうがいいと思います。
前回から書いているのは、結局、44歳妊婦の自分に選択肢が与えられていないことに気づかなかった私が、NICU(新生児集中治療室)のある大病院の医師に、それを気づかされた話です。医療介入に関する同意書に説明を求めたことで、妊婦の最終搬入先であるはずの大病院から分娩を拒否された。という流れであるように思えました。
第三子でも、高齢であることが助産院はもちろん、個人病院で産むことすらままならないほどハイリスクであるのなら、倫理的に、拒否はありなの?
書類にみるQOL
病児を理由にした検診延期が許されないので、「子どもが病気だろうと当初予約した日程で私が同意書を持って健診に出向かないと、出産を拒否すると言われた」旨を連れ合いに伝えました。彼は私の味方ではないですが、そういう人と話すのが好きなので、電話して、自分は当日仕事を休めない、病児を預ける先がない、自分が署名済みの同意書を届けるからそれでいいかと聞いたようです。医師は私に対するのと同じような態度だったようで「理屈が論理的じゃない。頭わる!」と言ったのは、私でなく連れ合いです。
結局、病気の子をどこかに預けてまでその日に健診を受ける必然性を感じなかったので(との自己判断が嫌われたのもわかってますが)、その大病院との縁は切れました。紹介状を書いた個人病院の医師が驚き、医師同士で話し合ったようですが、個人病院の医師にもとりつく島がなかったんだろうなぁと感じられました。
しょうがないから自分の病院で引き受けるか、もともとの産院の先生は思ってくださったようですけど、結局、別の大病院で医療介入されることになったのは、そのときの私たちにとっての「自然」だったんでしょう。
大病院の同意書、二つ見ましたが、出産拒否した病院の同意書は文面がすごく曖昧でした。きちんとした書類のある二つ目の病院は、搬送でしたけど、その場であらゆる質問に答えてくれましたよ。3人目にして初の大変なお産になったことは変わりませんけど、せめて二つ目の病院でよかったと思います。最初の病院で医療介入されていたら、もっとひどい目にあっていた気がする。建物や設備は綺麗でしたけどね。
望月 索(もちづき さく)人一倍不摂生な出版仕事人が37 歳、40 歳、44 歳で出産、育児の経験も積み、健やかな暮らしについて学び合う協会の設立メンバーに。
編集、ライター、一般社団法人日本マクロヘルス協会理事。編著に『子どもを守る自然な手当て』、訳書に『親子で楽しむ!
おむつなし育児』、『小児科医が教える 親子にやさしい自然育児』。
http://macro-health.org