先月の連載では、舞踏のことを取り上げました。今月は、私の弁護士としての活動と、舞踏家としての活動の接点をご紹介したいと思います。
シンポジウム開催に向けて
少し前の話になりますが、今年の3月31日、京都弁護士会と立命館大学生存学研究センターの共催で、『優生思想との訣別 〜旧優生保護法からの人権回復に向けて〜』というタイトルのシンポジウムが実施されました。
以前の連載でも取り上げましたが、優生保護法は、1948年に成立し、1996年まで日本に実在した法律です。この法律には、優生思想を背景に、障害者に対して強制的に不妊手術をおこなうことなどが規定されていました。そして昨年1月、宮城県在住の被害者の方が、全国で初めて、優生保護法による強制不妊手術が違法であるとして、国家賠償請求訴訟を提起しました。この提訴がきっかけとなり、優生保護法の問題が報道機関で大きく取り上げられるようになりました。
このような状況のなか、京都においても優生保護法をテーマとしたシンポジウムを望む声が上がりました。そこで、人権問題の解決を目指して活動する京都弁護士会と、優生思想の研究をおこなう立命館大学生存学研究センターが手を結び、シンポジムを実施することになったのです。
私は、京都弁護士会の会員であり、優生保護法被害弁護団の一員でもあったことから、このシンポジウムに企画段階から携わりました。私を含めた企画者は、このシンポジウムにさまざまな領域の方に関与してもらい、それぞれの視点から優生思想の問題を指摘してもらいたいと考えていました。京都弁護士会単独の主催ではなく、立命館大学生存学研究センターとの共催になったのも、そのような理由からです。
そこでまず、シンポジウムでは、優生思想や優生保護法被害を研究する研究者、優生保護法による被害を受けた当事者、そして優生保護法被害者の人権回復活動に取り組む弁護士などに講演してもらうことになりました。
しかし、私は、さらに異なる領域からこの問題にアプローチすることを検討しました。そこで考えたのが、芸術からのアプローチです。
人権と芸術
芸術というのは、一般に、美を探求する営みである一方、世の中に生起するさまざまな問題について、言語とは異なる方法で検証する営みでもあるのではないでしょうか。このように考えると、これまで主に研究者や弁護士が取り組んできた人権問題に関する研究や実践に、芸術家が関与する余地が生まれるわけです。
芸術は、人権問題の解決に奉仕するものではないと思いますが、芸術家が関与することで、人権問題に新たな視点が提供される可能性があります。また、芸術は、論理や言語では説明できないような問題の本質に迫ることが可能かもしれませんし、それまで人権問題に関心のなかった方が興味をもつきっかけになるかもしれません。
ですので、私は、芸術が人権問題を扱うことにより、結果として人権問題の解決が促される可能性が飛躍的に高まると思うのです。
そこで、シンポジウム『優生思想との訣別 〜旧優生保護法からの人権回復に向けて〜』では、芸術家が関与する企画を盛り込みました。具体的には、舞踏家の由良部正美さんに、シンポジウムのテーマを踏まえて舞台で踊ってもらうことになりました。その際、筋ジストロフィーという障害を有していた書家の故・石井誠さんの大きな作品を、舞台上に掲げることにしました。私もこの舞台にちょっぴり出演することになりました。
この舞台を含めたシンポジウムの内容については、次回以降詳しくご紹介したいと思います。