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農業ルネッサンス元年

川平 俊男 (かびら としお)

1950年米軍統治下の宮古島で生まれる。家業は農業。自然豊かな前近代的農業、農村で育つ。69年島根大学へ留学。趣味は器械体操といたずらを考えること。70年代から親の家計を助けるため那覇で働く。「オキナワーヤマトユイの会」に参加し援農活動の受け入れ。「琉球弧の住民運動」事務局に参加し奄美琉球各地域島々の地域づくり島興し運動を支援。沖縄農漁村文化協会を結成し農漁業、農漁村の未来像の研究を続ける。宮古島に戻り農業をしながら自然塾を主宰し、農的学習法を編み出し、地域教育に取り組む。一方で農作物の研究および生産を始める。多くの生産者が作っても売れない事情を知り販路拡大の応援。95年ごろ「宮古の農業を考える会」を結成し有機農法の普及拡大と循環型社会づくり運動を始める。有機農法の限界に気付き、無農薬無肥料栽培に進む。10年前から親の介護を続ける。

【Vol.99】童謡の力 (1)

投稿日:

♪アンナマイ     (母・祖母も)
 シュウマイ     (父・祖父も)
 ジョウカリウンナ(お元気ですか)
 ジョウカリウッスッガド(元気だよ)
 キシャチュンマミューン
(長らく会ってないね)
 麻里奈マイ     (麻里奈も)
 由梨奈マイ     (由梨奈も)
 バガンマガ    (私の孫だよ)
 アタラス基貴マイ(いとしい基貴も)
 バガンマガ♪   (私の孫だよ)
―「故郷の空」の替え歌―

目を閉じて介護ヘルパーの呼びかけにも無反応だった認知症の母が私が歌い出すとかすかに笑みを浮かべて歌に合わせて口を動かす。私は歌を続ける。

♪ゾウさん/ゾウさん/おはながな
がいのね/そうよかあさんもながい
のよ/
 ゾウさん/ゾウさん/だれがすき
なの/あのねかあさんがすきなのよ

母の表情を見ながら歌う私の目に涙が……。

♪おうまのおやこは/なかよしこよ
し/
いつでもいっしょに/ポックリ/
ポックリ/あるく/
 おうまのかあさん/やさしいかあ
さん/
こうまを見ながら/ポックリ
/ポックリ/あるく♪

♪烏/なぜ啼くの/烏は山に/可愛
七つの子があるからよ/
可愛/可愛
と/烏は啼くの/可愛/可愛と/啼
くんだよ/
 山の古巣へ/行って見てごらん/
丸い眼をした/いい子だよ♪

♪母さん/お肩をたたきましょう/
タントン/タントン/タントントン♪
(替え歌)
♪カアチャン/カバスピーユ(いい匂
いのオナラを)/
カバシマしよう(匂
わしましょう)/
ブップ/ ブップ/
ブップップー♪

今年の初め頃は体は不自由で寝た切り状態でも会話はできていた。私がこの歌を歌い出すと、母は私に対して「こんなバカな子を産んだ覚えはない」と笑いながら言った。「じゃあどうしたの?」「橋の下で拾ってきて育てた」。

♪おかあさん/なあに/
おかあさん
て/いいにおい/
おりょうりしてい
た/においでしょ/
たまごやきのに
おいでしょ♪
(替え歌)
♪おかあさん/なあに/
おかあさん
て/いいにおい/
スゥバブットゥル(宮
古式手作り焼きソバ)のにおいです
/ワーアウワンスゥ(豚肉入り宮古
式手づくり油みそ)のにおいです♪

母は昔からこの二つが大得意だった。妹が農協女性部で何度も挑戦するが母の味は出せないと言っている。 私が高校時代まで宮古(島)には車はバスとキビ運搬や土建業のダンプカーぐらいだった。特に農村地域では一日に一回も車を目にしない日が多かった。私たち兄弟姉妹は畑の行き帰りはいつも母といっしょに馬車に乗っていた。畑へ行く時も畑作業の時も畑から夕日をながめながら帰る時も母といっしょに童謡を歌っていた。夕食後も母を囲んで歌った。

―「赤い靴」の替え歌―
♪ウプタダーヌ    (畑の地名)
 パリヌアッチャから(畑のそばから)
 馬車に乗って
 ピンジャといっしょに  (山羊と)
 帰ります。♪

この他に「赤とんぼ」や「しゃぼん玉」「夕やけ小やけ」などを毎日、朝、夕、時には夜中に歌って聞かせた。 母は今年三月から六月まで危篤状態が続き、入退院をくり返していた。六月に医者から「手術が必要だが高齢(九十三才)のためたぶん手術は無理です。他の治療もこれ以上はできません。今、最期を迎えてもそれを受け入れた方が母さんのために良いと思う」と宣告。 私は母に安らかな最期を迎えさせてやりたくて、母が好きだった童謡を毎日歌い、またCDを聞かせてきた。童謡の世界と宮古(島)の農的世界については次回に追記します。

川平 俊男
1950年米軍統治下の宮古島で生まれる。家業は農業。自然豊かな前近代的農業、農村で育つ。69年島根大学へ留学。趣味は器械体操といたずらを考えること。70年代から親の家計を助けるため那覇で働く。「オキナワーヤマトユイの会」に参加し援農活動の受け入れ。「琉球弧の住民運動」事務局に参加し奄美琉球各地域島々の地域づくり島興し運動を支援。沖縄農漁村文化協会を結成し農漁業、農漁村の未来像の研究を続ける。宮古島に戻り農業をしながら自然塾を主宰し、農的学習法を編み出し、地域教育に取り組む。一方で農作物の研究および生産を始める。多くの生産者が作っても売れない事情を知り販路拡大の応援。95年ごろ「宮古の農業を考える会」を結成し有機農法の普及拡大と循環型社会づくり運動を始める。有機農法の限界に気付き、無農薬無肥料栽培に進む。10年前から親の介護を続ける。

プレマ株式会社の『宮古島プロジェクト
宮古島の自然農法を推進し、島の健全な地下水と珊瑚礁を守り、お客様に安心と安全を届けます。

- 農業ルネッサンス元年 - 2015年12月発刊 Vol.99

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