宮古島市文化協会(大城祐子会長)の文化体験講座が2月11日(宮古上布)、14日(宮古語)、22日(住まい)、28日(農と食)の四回開催されました。宮古の先人たちの知恵を学び直し、新しい宮古文化創造に役立てる趣旨の活動です。私たちは1970年代から「地域づくり」「島おこし」活動を奄美、琉球の島々で続けてきました。数年前にその活動の指針をまとめました。今度の講座と通じるものがあるのでその一部を紹介します。
―甘蔗(諸)農産組合(宮古)設立の趣旨―
長い苦難の歴史の中で培われた宮古人(ミャークピトゥ)の気概「アララガマ精神」と全員参加型協働社会を支えてきた「ゆいの心」の原点に立ち、太平洋諸島の人々と共に宮古(島)を元気にする。民の手で民のために民が主体の島を創る。 宮古人はいつの頃からか、自分たちの生き方を自分たちで決めないで常に外部の大きな力に任せてきた。日本復帰後は外部の力への依存度は急速に増大し、その施しがなければ宮古人は生きていけないと思い込むまでに堕落した。まさに親や社会の庇護がなければ生きられない子どもと同様である。宮古人は大人になろう。 宮古(島)の親たちは子どもたちを宮古(島)を豊かにする人間としてではなく、将来、ご主人様に奉仕する人間にするためにせっせと育ててきた。宮古(島)の未来を切り拓く力は宮古(島)からどんどん流出し続けている。宮古人が自らの手で宮古社会を衰退させ続けてきた。 「21世紀は農業の世紀」であると言われて久しい。しかし、いのちと向き合う農的生活から離れてしまった全世界の多くの人々の食生活は異常である。また農業を新しい金もうけの手段にしている大企業の農業への取り組みは食をゆがめている。だれがどこでどのようにして作ったものかを考えることもせず、季節感もなく、同じものが年中陳列されていることに何の疑問も持たない消費者は自分の異常さに気づかない。 一方では飽食の果てに大量の食べ物が捨てられ、他方ではおびただしい餓死者が出る食糧流通のしくみは異常である。「食べる」ことは他の動植物の命をいただくことである。人間は大自然の一部であり、大自然の恵みを受けて生かされていることを感じることができる機会は「食べる」ことを見つめ直すことにある。大規模かつ生産効率万能主義の工業的農業により作られた食材は「食べる」ことを見つめ直すことはできない。「食べ物」を「食料」に変えることはいのちをモノに貶めることである。そこには食べる楽しみはあっても命をいただいたことへの感謝と感動は作る側にも食べる側にもない。 「大量生産・大量消費・生産効率万能主義」の時代は終わりつつあり、いのちと向き合う農的生活へ多くの人たちが入ってきている。宮古(島)および太平洋諸島の人々が島を復興させる絶好の機会が今、まさに到来した。
―組合の目的―
この組合は宮古社会の伝統を尊重し、継承し、未来へ向かって宮古社会の農(漁)的再生発展を図ることを目的とする。「宮古(島)の宝」を掘り出し、島の内外を「ゆいの心」で結び「アラガママ精神」を発揮して、豊かで自信と誇りに満ちた「新しいふるさと」づくりを推し進める。
―組合の事業―
次の事業を実践するにあたり「一人の百歩より百人の一歩」を大切にする。
- ・ゆいの再生による全員参加型協働 社会創造
- ・自救型経済社会建設
- ・健康と長寿の研究
- ・いのちを創る食べ物作り
- ・地域医療福祉の充実
- ・いのちと向き合う教育の実践
- ・自立をめざす学問研究、芸術の創造
- ・生涯スポーツの振興
- ・情報化社会の研究
- ・循環型社会の探究
- ・自給エネルギーの研究
- ・環境保全活動、水利用の研究
- ・災害、特に台風対策
- ・人権の確立、平和の創造
- ・太平洋諸島の人々との交流
続く
川平 俊男 1950年米軍統治下の宮古島で生まれる。家業は農業。自然豊かな前近代的農業、農村で育つ。69年島根大学へ留学。趣味は器械体操といたずらを考えること。70年代から親の家計を助けるため那覇で働く。「オキナワーヤマトユイの会」に参加し援農活動の受け入れ。「琉球弧の住民運動」事務局に参加し奄美琉球各地域島々の地域づくり島興し運動を支援。沖縄農漁村文化協会を結成し農漁業、農漁村の未来像の研究を続ける。宮古島に戻り農業をしながら自然塾を主宰し、農的学習法を編み出し、地域教育に取り組む。一方で農作物の研究および生産を始める。多くの生産者が作っても売れない事情を知り販路拡大の応援。95年ごろ「宮古の農業を考える会」を結成し有機農法の普及拡大と循環型社会づくり運動を始める。有機農法の限界に気付き、無農薬無肥料栽培に進む。10年前から親の介護を続ける。 |
プレマ株式会社の『宮古島プロジェクト』 宮古島の自然農法を推進し、島の健全な地下水と珊瑚礁を守り、お客様に安心と安全を届けます。 |