子どもと情緒

【Vol.40】エピローグ

 最終稿を書くに当たって田原総一郎の「デジタル教育は日本を滅ぼす」、外山滋比古と田中真紀子の対談による「あたまの散歩」、副題が「デジタル教科書はいらない」を読みました。

 田原さんの本で、2015年を目標に、教科書のデジタル化が計画されていることを知り愕然とした次第です。世の中のほとんどの人々は、私同様そのような計画が進められているとは知らないでしょう。テレビのデジタル化の次に、教育のデジタル化が着々と進められているのです。この計画は戦後の国語政策で漢字の字数とその音訓の用法を制限するという大きな誤りを犯したよりも悪い愚行です。

 我国の言語は、世界にも稀な表意、表音を自由自在に駆使する高度に完成された言語で、言語の表記そのものがその発声を伴って人の情緒の琴線をふるわせ高めてくれます。しかし、英語のような表音文字はデジタルそのもので、論理的に組み立てなければ人には伝わりにくいものです。いずれの言語方式にも、長所、短所はあるのですが、日本語は表意・表音を駆使できるのですから互いの欠点を補うことが出来ます。これは素晴らしいことですが習得するのに大変なエネルギーが必要です。しかし、この努力こそが脳を豊かに育て、情緒を育んでくれるのだと考えています。

 ヒトのヒトたる所以は、他の動物の脳に比べて情緒中枢が存在する前頭葉の部分が発達していることにあると言われています。この前頭葉が現代では萎縮の方向にあるという報告があります。ヒトの脳は、アナログ、デジタル両機能に加えてこれらを調和させ、総合的に判断する機能を司る重要な司令塔としての役割を持つ情緒中枢があります。生物経済学事始でも述べましたが、ヒト属という動物の身体能力は、生来自然に対する適応性が極めて低かったために、これがストレスになって道具や火を使うことを学び、今日の文明社会にたどり着いたのです。しかし、皮肉な事にこの文明は際限もなく身体的快適性を追求する手段と化し、今日に至っています。その結果、筋肉の鍛錬という苦痛を伴う行為からも逃避するようになって運動機能を司る小脳も退化し、大脳だけが機能する新人類が誕生し始めました。デジタル化とバーチャルリアリティーの相乗効果で、快適性の追求はますます先鋭化して行くでしょう。美しい自然やその精妙な調和の世界は3Dテレビでよりリアルに見せてくれますが、本物ではありません。以前、この通信を担当しているプレマの山下女史が話してくれたことです。忙しい時間の合間を縫って自分の子どもたちを喜ばそうと大阪のユニバーサルスタジオに連れて行ったそうですが、子どもたちに私の研究所の中にある谷川でサワガニを捕ったことの方が楽しかったと言われてショックを受けたという話を思い出します。

 ディズニーランドはバーチャルリアリティーを具体的な形にした最初の施設ですが、情緒という高次の機能はディズニーランドからは生まれてきません。親と子、人と人、そして男と女、自然との対話とふれあい、他のいのちとの出会いに加え、私たちの祖先が作り上げてきた文化としての界隈から醸し出されると私は考えています。

 私たちの脳は、快適、快楽を満足させてくれるストレスは受け入れますが、それ以外は拒否する機能が特化しつつあります。我国では、40代の夫婦でセックスレスが60%に達し、離婚が増えているだけでなく、妻の自立、夫の存在感の希薄化が顕在化しつつあります。今言われる草食男と肉食女は社会のデジタル化と期を一にしています。動物の母性本能はわが子を守るために備わったもので、己を犠牲にしても子を守るはずですが、現代社会では母性の欠落が目に付きます。母性にとって安逸と快適性は子育てのために大切な要素ですが、これはあくまで種の保存・保続という本能に基づいたものです。しかし、快適性が優先すると女性はますます自己組織化によって美しくなることにかまけ母性本能は退化します。女は放っておいても女に成れますが、男は女親によって厳しく育てられなければ男にはなれないのです。優秀な男(雄)を作るのは男親ではなく女親だということを「孟母三遷」の諺から学んでください。デジタル社会で育てられた子どもたちは、生まれながらにして情緒欠損症候群となり、子どもにとって大切な学校教育の現場は不毛の原野と化すでしょう。社会全体に人間性に対する大きな歪が生じてきたにもかかわらず、対処療法で更なるデジタル化を進めようとしているのです。最後になりますが、とにかく大切な子どもたちを情緒欠損症候群にしないために、親が特に母親が頑張るしかないでしょう。私がこれまで述べてきたことが少しでも参考になればと願っています。

野村隆哉

野村隆哉(のむらたかや)氏
元京都大学木質科学研究所教官。退官後も木材の研究を続け、現在は(株)野村隆哉研究所所長。燻煙熱処理技術による木質系素材の寸法安定化を研究。また、“子どもに親父の情緒を伝える”という理念のもと、「木」本来の性質を生かしたおもちゃ作りをし、「オータン」ブランドを立ち上げる。木工クラフト作家としても高い評価を受けている。
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【Vol.39】アナログとデジタル(2)バーチャルリアリティー

 前回の副題であった?アナログとデジタル?の問題は、考えれば考えるほど無明の闇に入り込んで行くようで気が重くなる。この問題に警鐘を鳴らしても現代文明の巨大な潮流(メガ・トレンド)を押し止めることがほとんど不可能に近いことが目に見えているからである。それでも書かなければならないと思うのは、私が生来のお節介焼きなのだろう。

 お節介焼きといえばこんな事があった。今年の3月15日、山の中で一人の男を拾った。実は、3月12日から通勤途中の山中の道脇に軽自動車が止まっているのに気付いていた。15日になってもその場所に止まっているので、気になって車内をのぞいて見ると、男がハンドルにもたれ掛って眠っているようであった。その数ヶ月前、私の研究所の近くで車の中で服毒自殺をした女性を発見していたものだから、てっきり自殺しているのだろうと思って窓を叩いた。有難いことに、まだ生きていたので、研究所に連れて行き、落ち着くまでここに留まるよう伝えた。後で判ったことだが、これが何とアスペルガー症候群(高機能自閉症)の典型的な患者だった。私と出会う8日前に精神病院を退院し、自殺をしようと山中で思い悩んでいたようだ。我ながらお節介焼きの性分にあきれてしまったが、不思議とこの手合いに出会うのは神の思し召しなのだろうか。このような実体験が重なる中で、同じような現状があちこちで起きているのではと考えざるを得なくなった。この男は5ヶ月と半月研究所に居候して真面目に働いてくれていた。ところが9月2日に再び自殺を試み、これも私が見付けて救急車で病院に運んだ。兄夫婦が引き取りに来て1ヶ月過ぎても何の連絡も無かったが、10月4日に本人から連絡があり、研究所での仕事は辞めたいので荷物を引き取りに行きたいとの事。この出来事は、又一つ私の人生経験に貴重な知恵を授けてくれた。

 前述した例はどうも先天的な障害かもしれないが、このような先天的な場合は別として、後天的に高機能性障害やアスペルガー症候群に陥る引き金になるものを三つ挙げることが出来る。一つ目は持って生まれた内向的な性格、二つ目は、都市生活での界隈の崩壊による近隣相互およびこどものコミュニティーの消滅、最後が社会のデジタル化ではないかと考えている。これら三つの要因が相補的、相乗的に機能することでアスペルガー症状は一挙に進む。一般的にアスペルガー症候群の男女比率は3:1で男の方が多いようである。これは男女の身体的、生理的機能の成熟の差が反映されていると考えられる。女性の場合は、こどもを生み、育てるという母性から、本能的に自己防衛のための周囲とのバランスを身に付けることが早い。しかし、男の場合はある程度意識付けし、訓練しなければオスには成れないところがある。動物の世界では、力が無ければ一生メスと交尾できない場合が多々ある上、メスも種の保存のために弱いオスは受け入れないという明確な鉄則が存在する。ところが、この鉄則は現代文明世界のヒト属という動物では無用のものになりつつあるようだ。核家族化、少子化、マンションの閉鎖空間、その他文明社会が未必の故意として生み出した人間性に対する阻害要因が蜘蛛の巣のように張り巡らされた都市空間、生活空間で、他人との対話の出来ないこどもたちが次々と作り出されてくるのである。特に、意識付けしないとオスになれない男性は中性化しコンピューターゲームに没頭し、3Dを含むバーチャルリアリティーの世界で巨大なアスペルガー症候群団が作られていくのである。その一方で、これまでの社会組織は旧態然としたまま存続し続けている。学校も同様であるが、ここにアスペルガー症候群団が大挙して押し寄せれば現場はお手上げであろう。

 人間の知・情・意をコントロールし、バランスを取るための機能を司る情緒中枢が自覚症状無しに退化あるいは破壊されていく一方で、自己中心的な欲望を充足させる手段として究極のデジタル化によるバーチャルリアリティーの世界に埋没する人間が伝染病のように増えていく光景を想像していただきたい。このような連中が現実のリアリティーに直面すると即アスペルガー症候群となる。これは正に、文明病でも悪質な伝染病と考えられるが、文明化した医学では病としての意識は無くほとんど対応できていない。さて、どうするか。次回の最終稿は頭の痛いことになった。

野村隆哉

野村隆哉(のむらたかや)氏
元京都大学木質科学研究所教官。退官後も木材の研究を続け、現在は(株)野村隆哉研究所所長。燻煙熱処理技術による木質系素材の寸法安定化を研究。また、“子どもに親父の情緒を伝える”という理念のもと、「木」本来の性質を生かしたおもちゃ作りをし、「オータン」ブランドを立ち上げる。木工クラフト作家としても高い評価を受けている。
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【Vol.38】アナログとデジタル

 
 最近、テレビで盛んに伝えられている地デジ化のアナウンスにはうんざりする。テレビがアナログ方式からデジタル方式に変わるということに対して一般人はシステム交換時に生ずる無駄な出費を気にする程度で、この方式変換の裏に隠されている大きな問題にはほとんど気付いていないように思われる。実は、生活周辺でのデジタル化はテレビよりずっと前からあらゆる領域で進められ浸透している。パソコン、テレビゲーム、携帯電話、時計から計測器など、デジタル方式は今日の文明の利器にくまなく応用されてきた。その結果、これまでアナログ方式で作られてきた膨大な数量の物が私たちの目の届かないところで産業廃棄物として処分されたが、十分使用に耐えるものまで惜しげもなく廃棄されてきた膨大な無駄が今後の経済の発展に対する足枷になるのは間違いないであろう。

 それにも増して問題なのはヒトの情緒機能に対する障害だ。これは危惧どころか既に現実のものになりつつあり、しかも若者ばかりか四十代の中年層にまで広がっている。「モラトリアム・シンドローム」と「ゲームおたく」は期を一にするものと思うが、これにはデジタル化が深く関与していると私は考えている。私の大学の先輩で京都大学の教授までした人物が、「野村君、私の息子は40歳を過ぎたのに嫁も取らず、会社から帰ってくると部屋にこもってコンピューターゲームに没頭している。どうなっているのかさっぱり分からん。」と頭を抱えておられた。また別の例だが、私の友人が大学の研究室を訪ねてきて、息子を研究員として使ってやってくれないかとのこと。丁度、空きがあったので受け入れたが、これがとんでもない人格で、いわゆる高機能性障害児であることが後で判った。

 父親の話では、コンピューターには精通しているとの事であったが、それは、コンピューターゲームについてであって、後から聞いた話であるがエクセルもロータス123も使ったことが無かったとのこと。研究室に来てからいじくり回して使いこなしていたようであるが、私のようなアナログ人間は、マニュアルを丁寧に読んでからしか使えないのに、直ぐにコンピューターに入り込めるのである。異星人を見たような気がしたものだ。

 しかし、一見したところ上手に使いこなしているように見えるが、データの整理は第三者には全く理解できず、入力にも信頼性がないため往生したことがある。

 彼のもっぱらの興味は、複数の仲間とコンピューターゲームのキャラクターになって色々やり取りをすることにあったようだ。研究室の仕事が終わると、夜を徹してこのゲームに没頭していたようで、仕事の最中に眠りこけていることが多々あった。そんなこととは露知らず、ひょっとして無呼吸症候群ではないかと心配もしたが、原因が分かったときは怒りよりも唖然としたことを思い出す。それでも、教育者の端くれとして、人間らしく育てようとマレーシアで進めていた大きなプロジェクトにも研究補助員として参加させ、体を使うことを徹底的に教え込んだ。その甲斐あってかどうか分からないが、研究所を辞めてから届いた年賀状には農業に打ち込んでいるとの事。仕込んだ甲斐があったのかと少しは心が安らぐ思いであった。

 上述した二つの例でも分かるように、好むと好まざるに関わらず社会のデジタル化が進められていく中で、人間性の本質、存在に関わる諸現象が現れ始めているのである。今回副題とした「アナログとデジタル」というテーマは、問題が大き過ぎて与えられた紙数では収まりきらないようだ。後何回か同じテーマで書くことになると思うが、まず端的にお伝えしておきたいのは、主題である「情緒」はアナログやデジタルなど文明の産物からは生まれないし、育たないということである。敢えて断定的な言い方をしたが、情緒が核となって生まれる「思いやり」や「優しさ」「悲しみ」などの言葉で表現されるものは、直接物理量として表現するアナログ表示やこの表示を更に簡略化して数字の0と1の組み合わせの二進法で表されるデジタル表示では表しようがないと私は思っているからである。

 アナログ(analogue)という語の本来の意味は、日本語で「類似物」「相似物」、デジタル(digital)は「指の」「指上の」あるいは「計数型の」といった意味であるが、今日日常的に使われている用語としてのアナログ、デジタルは、前述したように前者が重量や振動数などの物理量を直接表す方式、後者は振動数など複雑なゆらぎを持つものを計数表示によって数値や符号で表現する方式で、信号の大きさや振動波形に多少の狂いがあっても同じ意味内容を持つものにまとめられるため、内容の伝達を均一化できるという利点はある。しかし、実はこれが厄介な問題を含んでいるのである。次回は、このあたりも含めて話を進めようと思っている。 

野村隆哉

野村隆哉(のむらたかや)氏
元京都大学木質科学研究所教官。退官後も木材の研究を続け、現在は(株)野村隆哉研究所所長。燻煙熱処理技術による木質系素材の寸法安定化を研究。また、“子どもに親父の情緒を伝える”という理念のもと、「木」本来の性質を生かしたおもちゃ作りをし、「オータン」ブランドを立ち上げる。木工クラフト作家としても高い評価を受けている。
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