前回、二度にわたってお話しした宮崎県の口蹄疫はうやむやの内に終焉したようであるが、問題は先送りされただけで何一つ解決されていない。先日、木材の形状安定化実験のために訪れた香川県塩江町では、畜産農家の牛舎の周辺が消毒用の石灰で真っ白になっている、と泊まった宿の主人が話していた。このような光景は、全国の畜産農家でしばらく続くのであろうが、石灰でカチカチに固まってしまった牛舎や豚舎の中で暮らす牛や豚、何時、又発生するかもしれない不安に慄く畜産農家の人々のストレスはただごとではないだろう。今回は、このストレスと環境についてお話しさせて頂こうと思う。
中国の諺に「孟母三遷の教え」というのがある。中国の思想家、孟子の母は賢母の代表と称されるが、最初の居所を墓所の近くに、次に市の近くに、最後に学校の近くにと三度遷しかえて、孟子の教育のためにはかったという。この諺は、正に「環境が人を作る」という事例の最たるものであろう。今日の我が国で起こっている種々の無残な社会事象も、世界に先駆けて進めてきた物質文明化という国家を挙げての壮大な実験を遂行していく過程で生まれた環境からのストレスが形となったものと考えられる。この実験は、奇妙な事に主体となる実験者は存在せず、国民全てが被験者となり、物質文明化という手段を目的としてきた。
第二次世界大戦に敗北した日本が、アメリカの巨大な物質文明に圧倒され、戦後の荒廃から立ち上がるためにも、物質的豊かさの追求を国是としたのはやむ終えないことではあった。おまけに、これまでの質実剛健、勤勉実直を美徳として教え込まれた国民の目の前に物質文明の利器として諸々のものを見せられたのである。一部の特権階級のみが占有していたものが一般大衆に解放され、大量生産、大量消費が国是となったのであるから、正に日本のルネッサンスといえる。しかし、その一方で多くの賢者が訴えているように精神的豊かさの追求は等閑にされてきた感がある。
戦後、アメリカの占領政策は巧妙に仕組まれ、日本国民の精神的バックボーンとなっていた質実剛健、勤勉実直から勤勉だけを残し、行政機構を温存させることで手段のみを目的とする完全なアメリカ追従型の国家を作り上げることに成功した。国家行政の機構は巨大化し、権力と権威を集中させ、政治までも行政機構に取り込んでしまったのである。「物質的豊かさ」という明確な目的の下に1億人が一枚岩になって優秀な官僚に指導されて猛進した結果、世界第2位、資源、国土面積を勘案すれば、世界第1位の経済大国にのし上がることになった。これ自体は、日本民族の民度の高さを如実に示したものといえるだろう。
しかし、全ての成長曲線は、S字曲線を描き、必ず定常期を迎える。自然界における成長曲線は、地球上の全ての生命体がそれぞれの定常状態を維持しながら豊穣な調和の取れた世界を維持するが、唯一、人為的に行われる成長曲線はこれまでの歴史が示すように栄枯盛衰の繰り返しで、定常期の後に必ず衰退期に入る。人為的成長曲線においては成長速度が速ければ速いほど定常期は短く、衰退期にも早く突入する。我国は今正にこの状態にあるといえるだろう。これまでの枠組み(パラダイム)の中で変革しようとしても何の効果も現れず、混乱に輪をかけるだけであることは、政治の混迷振り、行政の無策を見ても分かるだろう。このような社会環境でのマイナスのストレスが、物質文明のシンボルとなった大都市(コスモポリタン)における生活弱者に特化して現れてきたといえるだろう。この現象は、「思いやり」や「優しさ」で代表される情緒の欠落した人々の生活空間では今後加速度的に広がって行くと思われるが、正直手の施しようがない。
情緒機能は、環境のストレスから生まれたのは間違いないであろうが、前にも述べたように、この機能は極めて繊細で壊れやすく、その成長曲線は緩慢なため醸し出すようになるまで恐ろしく時間が掛かる。好むと好まざるに関わらず、情緒の欠落した今の時代に生まれた子供たち、特に、生まれながらにして情緒豊かな資質を備えた子供たちにとっては大変な試練であるが、何としても私達が守り育てていかねばならないと思っている。