こまごめラオス滞在記

【Vol.40】タートルアン祭

 ラオスのシンボルと言えば、首都ビエンチャンに建つ黄金の仏塔、タートルアンです。国章や紙幣にも印刷されており、高さは約45m。ビエンチャン最大級の高さです。その起源は紀元前三世紀までさかのぼると言われています。一時、中国の侵攻によって破壊されたものの、1930年代に修復され、現在でも太陽の光を受けながら、輝き続けています。

 そのタートルアンが一年でもっとも活気づくのが、毎年旧暦十二月の満月の日までの約一週間にわたり行われる、「タートルアン祭」です。この期間、広場には各種出店がひしめき合い、ラオス中に限らず近隣諸国からも観光客が詰めかけ、普段穏やかなビエンチャンの町が一日中お祭りムード一色に染まるのです。

 祭には大きく二つの行事があります。一つめは寺の境内にて、満月の日の朝に行われる大読経会と托鉢。夜が明ける前から、人々はラオ民族の衣装を纏いタートルアンの境内に詣でます。男性は絹のシャツにパービアンと呼ばれる肩から斜めにかける布。女性は絹のシャツと絹のラオス式巻きスカートです。これらの服装は仏閣に参拝する際の正装なのです。手にはお布施にするご飯、果物、お菓子や現金、花やろうそくの入った籠を持っています。そして境内に跪くと、高僧の読経と共に儀式が始まります。朝日が昇るころに高らかに響く読経と、一面に跪く敬虔な仏教徒の祈りの光景は壮観であり、ラオス人の信心深さを思い知らされます。

 読経会のあとにはラオス中から集まった僧侶たちへの托鉢です。この日のために上京し、タートルアン境内で寝泊まりしていた僧侶たちは千人以上にのぼります。境内だけでは収まりきれないので周辺の道端に特設でテーブルを設け、そこに鉢をおいて喜捨を募ります。信者たちにとってはそれこそが徳を積む行為であり、僧侶の毎日の生活を支えることになるので、普段から喜捨を惜しみませんが、祭ともなれば財布のひもも緩み一層気前も良くなります。

 二つめは最終行事となる、満月の夜のヴィエンティアンと呼ばれる行事です。朝と同じく正装した人々がろうそく、花の入った籠を手に、タートルアンへ参拝に訪れます。境内にはいると皆、ろうそくに火を灯し、火が消えないように気をつけながら、タートルアンの周囲を三周まわります。願い事を念じながらゆっくりとまわり、火が消えなければ願いが叶うと言われています。ヴィエンティアン自体は毎月の満月の夜に行われているそうですが、ラオス最大の祭の行事ともなればとにかく華やか。一年でこの時だけライトアップされて光り輝く黄金の仏塔は神々しささえ感じさせ、満月の光とも相まってより一層輝いて見えます。クライマックスには花火も打ち上げられ、人々の熱気も最高潮。興奮冷めやらぬままに、惜しまれながら祭は幕を閉じます。

 普段人が少ないビエンチャンの町ですが、祭のときはラオス中から人が集まっているのではと思えるほどの大混雑。しかしそれは単なるお祭り騒ぎではなく、しっかりとラオスの人々の信心に根付いた仏教行事なのです。

駒崎 奉子

駒崎 奉子氏
ラオス・ビエンチャン在住3年。大学卒業後、日本での社会人経験を経てラオスへ渡り、日本語教師をつとめる。現在は日本人学校で教える傍ら、ラオス語翻訳や文筆活動も積極的に手がけている。
「こまごめ」は大学時代に名字からつけられたあだ名。

【Vol.39】オークパンサー(安居明け)

 雨季も終わりに近づくとしとしと雨に変わり、晴れる日も増えてきます。7月の安居入りから約3か月。雨季が明けるのと共に、僧侶の長い修行期間の終わりを意味するのがオークパンサーです。寺では村人たちがお祝いの喜捨に詣で、盛大に祭を行います。カオパンサー(安居入り)よりも規模は大きいです。そして修行を終えた僧侶たちは還俗し、故郷の村へ帰っていくのです。

 在家信者の一般市民にとっても小さな「修行期間」であった、長く、じめじめとした雰囲気の雨季。それが終了するのですから、町中の様子は一気ににぎやかになります。メインイベントはラオス各地のメコン川やその支流で行われるボートレース。村ごとや会社ごとに数十人のチームを作って、各自自慢の舟を造り、装飾を施して互いに速さを競い合います。特にビエンチャンでは、一週間ほど前から川沿いに屋台がずらっと並び、待ちきれない様子。川では選手たちがオールを手に声をかけながら、一生懸命練習しています。レース本番には、郊外から人が押し寄せ、川沿いの通りは普段からは考えられない満員状態。みんなレースを見に来たのかと思いきや、祭のにぎわいに乗じてビールの栓を開けに来ただけ、なんて人も多く、新年のお祝いに次ぐお祭り騒ぎだと言われています。

 またこの時期の名物として有名なのがメコンの火の玉です。毎年オークパンサーの日の夜にだけ見られるというメコン川に浮かぶ火の玉で、ビエンチャンから約60km離れた村で見られると言われています。これはメコン川に住む龍神が吐く炎だという伝説があり、毎年大勢の人が見物に詰めかけます。一年に一日だけというのが少し怪しい感じもしますが、実際に見たという人の話もあり、真偽のほどは定かではありません。しかしラオス人にとっては真偽などあまり関係がなく、お酒を飲む口実に利用されているようです。

 そんなにぎやかさの陰で静かに粛々と行われるのがロイカトンと呼ばれる灯籠流しです。バナナの皮とマリーゴールドの花で作られた灯籠の中のろうそくに火を灯し、 平和と繁栄を願って川に流します。元々川の神に感謝する目的で始まったのが起源とされており、ろうそくの火が長く消えなければ、願いが叶うとされています。祭の喧噪の静まった夜、水面にぼんやりと浮かぶろうそくの炎はとても幻想的で、側で見ているものも平和を願わずにはいられません。

 そして、オークパンサーを機に解禁となる行事が結婚式です。安居期間は結婚式などの各種お祝い事は自粛する傾向があるので、オークパンサー後の11月、12月は結婚式ラッシュ。毎週末どこかで必ず式が挙げられます。これから乾季に入るラオスは、天気も人々の気分も上り調子。心躍る行事が目白押しなのです。

駒崎 奉子

駒崎 奉子氏
ラオス・ビエンチャン在住3年。大学卒業後、日本での社会人経験を経てラオスへ渡り、日本語教師をつとめる。現在は日本人学校で教える傍ら、ラオス語翻訳や文筆活動も積極的に手がけている。
「こまごめ」は大学時代に名字からつけられたあだ名。

【Vol.38】ラオスの食(3)パパイヤサラダ

 日本では果物は熟れてから食べるのが当たり前ですが、ここラオスでは熟れる前の青い状態の果物や野菜たちをよく目にします。パパイヤ・マンゴー・バナナなど、これらは青いままで食べられるように売られています。サラダや炒め物にしたり、おやつ代わりに甘辛いソースをつけて食べたりします。今回は青い果物の代表格、青パパイヤを使ったラオス料理、パパイヤサラダをご紹介します。

 青パパイヤはこりっとした硬めの歯ごたえが特徴的で、サラダにする場合は千切りにしたり、ささがきのように切ったりします。パパイヤに和える基本の調味料は、塩・顆粒だし・砂糖・ライムの搾り汁・ナンプラー(魚醤)。そして、パーデークと呼ばれる魚の発酵調味料です。この調味料は、海のないラオスでの貴重なタンパク源確保のために発達したと考えられています。市場へ行くと、濁った茶色の液体が大きな樽に入って並べられています。そして何とも強烈なにおいを放ち、鼻をつままずにはいられません。外国人にはこのにおいがきつくて苦手な人が多いですが、もちろんラオス人は大好き。どんな料理にもパーデークは欠かせません。

 和える道具は、一見すり鉢とすりこぎのような道具。まずは基本調味料をすり鉢に入れ、生唐辛子を入れて、たたくように混ぜ合わせます。この動作をラオス語で「タム」と言い、パパイヤを「マークフン」と言うので、パパイヤサラダのことを「タムマークフン」と呼びます。次に千切りパパイヤを入れて同じくたたくように混ぜます。トマトやナスなどお好みで野菜を切って混ぜ合わせてもOKです。混ぜながら味見をし、足りない調味料を足していきます。できあがったらキャベツや各種香草などと共にお皿の上に。パパイヤから水分が出ますが、調味料と混ざり合ったその汁も忘れずに盛りつけ。口へ入れると、甘さ・辛さ・酸っぱさ、そしてパーデークのコクがパパイヤのこりこり感に絡みつきます。もち米と一緒につまめば、どんどん手が伸びてしまうこと受けあいです。

 ところで、辛いものが大好きなラオス人ですが、それはタムマークフンに入れる唐辛子の量でよくわかります。通常、私のような外国人なら生唐辛子ひとつで辛さは十分。しかしラオス人は5、6個くらい入れて刺激を楽しみます。南部出身の人になると更に過激になり、10個、20個入れる人もいるとか。一口食べただけで、痛いくらいの辛さです。彼らもそれはわかっているけど、やめられない様子。お腹をこわしても食べ続ける人もいるのです。また、タムマークフンは一人で食べるより、みんなで食べる料理。皿を囲んで皆で「辛い、辛い」とヒーヒー言いながら、おしゃべりに興じます。

 太陽もかたむき始め暑さもやわらいだ頃になると、道沿いの屋台に人が並び、その奥では店主がすり鉢をトントンたたいている光景を見ることができます。味見を重ねお好みの味になったら、数人で皿を囲んで談笑する。帰宅前の憩いのひとときを垣間見ることができます。

駒崎 奉子

駒崎 奉子氏
ラオス・ビエンチャン在住3年。大学卒業後、日本での社会人経験を経てラオスへ渡り、日本語教師をつとめる。現在は日本人学校で教える傍ら、ラオス語翻訳や文筆活動も積極的に手がけている。
「こまごめ」は大学時代に名字からつけられたあだ名。