食欲の秋、読書の秋、芸術の秋、スポーツの秋……。暑さが和らぎ、夜も長くなる秋は、私たちの活動を促す季節です。皆さんは、この時期をどのようにお過ごしでしょうか?
私にとって、秋は「映画の秋」。今回は、ある映画祭についてご紹介します。
山形国際ドキュメンタリー映画祭
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、山形市では2年に1度、10月になると大きな映画祭が開催されます。山形国際ドキュメンタリー映画祭(以下、「山形映画祭」といいます)です。
山形映画祭では、毎回、ここでしか観ることができないみずみずしい作品に触れることができます。上映されるのはドキュメンタリー映画ですので、深刻な社会問題や人権問題を告発するものもありますが、他方で私たちの生きる世界の美しさや、人の心の豊さを芸術的に描く作品も少なくありません。そうした魅力的な作品を鑑賞するために、私はこれまで何度か山形で映画の秋を体験してきました。
プログラムの中心は、15作品による「インターナショナル・コンペティション」ですが、アジア作品限定のコンペ「アジア千波万波」や、その他の特集も組まれます。私が以前参加したときには、沖縄特集が組まれ、沖縄に関連する70本以上もの作品が上映されました。こうした意欲的なプログラムは、自治体主導の芸術祭において表現の自由が制約されがちな昨今において、いっそう輝きを増しているように思えます。
映画祭の魅力は、作品だけではありません。映画祭期間中は、作家、映画祭スタッフ、観客などが交流し、芋煮を味わい、山形のお酒を飲みながら、映画談義に花を咲かせます。こうした交流も、山形映画祭の大きな魅力の一つであり、新たな作品の源泉でもあります。
今年は、山形映画祭の開催年です。新型コロナの影響により、残念ながら今年の映画祭はオンラインでの開催になったようですが、例年よりも気軽に作品を鑑賞できる利点はあるでしょう。この号が発行される頃にはすでに映画祭は終了していますが、私はきっと、幾つかの作品を鑑賞していることでしょう。
山形映画祭の創設とアジア映画
ところで、山形映画祭が産声を上げたのは、1989年。ブッシュとゴルバチョフが手と手を結び、ベルリンの壁にハンマーが振り下ろされるなど、世界の歴史が大きな転換点を迎えた頃でした。
他方、この年は山形市の市制施行百周年にあたるメモリアル・イヤーでした。その記念事業のひとつとして創設されたのが、この山形映画祭で、当時、山形県を拠点に活動していたドキュメンタリー映画作家の小川紳介氏を中心に創設されました。
山形映画祭では、多くの映画祭と同様にコンペが実施されますが、第一回ではアジアからの応募が少なく、しかもその多くは、単なるルポルタージュや政府のプロパガンダの域を出ないものだったようです。
こうしてアジア地域がドキュメンタリー映画の不毛地帯であることを痛感した小川氏らは、第一回の映画祭で、アジア地域におけるドキュメンタリー映画の隆盛を企図したシンポジウムを実施するとともに、一般のコンペティションとは別に、アジア作品限定の特集も組みました。そして、その後の山形映画祭においても、アジア作品限定の特集は継続されました。
現在、映画祭創設から30年以上が経ちましたが、この間、アジア地域でも優れたドキュメンタリー映画が多数作られるようになりました。山形映画祭のコンペでも、アジアの作品がしばしば大賞を受賞しています。
このようにアジア地域から優れた作品が生まれるようになった背景には、検閲の緩和などを含めた各国・各地域の政治的・社会的事情の変化もあると思いますが、私は、山形映画祭の存在が不可欠だったと思っています。