一度使うと、ほかのみりんが使えなくなるという噂の『三河みりん』。
味にこだわりのある方なら、耳にしたことがあるのではないでしょうか。
株式会社角谷文治郎商店の代表取締役 角谷利夫さんに、みりんの魅力と歴史について伺いました。
(左:角谷利夫さん 右:娘の角谷治子さん)
みりんの歴史は500年ほど。当時は砂糖も存在しておらず「甘さ」が非常に貴重でした。焼酎の蒸留法が日本に伝わったあと、みりんの存在が記録に出てきますが、当初は「蜜林酎」「美淋酒」と記されています。
「淋」という字は一般に「さみしい」と認識されていますが、「氵」は蜜が滴るさま、「林」はたくさん集まった状態を表す。つまり「蜜がたくさん溜まったお酒」という意味なのです。できあがったみりんを「うまいなあ」「蜜がたっぷり溜まったような甘さがあるな」と当時の人は思ったのでしょう。
みりんの仕込みは、春と秋の2回行います。梅の花が咲くころから桜の花が咲くころ。そして、菊の花が咲くころです。原料は「もち米、米麹、米焼酎」のみ。米焼酎は自家製で、使用する米はすべて玄米で仕入れて自家精米しています。
味噌やお醤油は、豆や麦で麹を作って塩と一緒に仕込みますが、みりんの場合は焼酎。いずれも雑菌を抑え込みながら麹の働きだけを、緩慢に進めるためのブレーキの役割を果たしています。焼酎のなかで、お米の「甘さ」と「旨味」をバランスよく引き出したものが、みりんなのです。
店頭に並ぶ商品は、仕込みから2年の歳月をかけたもの。搾った直後のみりんは、ほんのり白く濁っており、甘みと旨みと焼酎の辛さがばらばらで、それぞれが立っている。それが1年寝かせることでひとつになります。白く濁っていた澱が下がり、熟成によりまろやかな味わいになり、旨みであるアミノ酸と甘さのブドウ糖の結合反応が起こることで、琥珀色になるのです。
みりんを口に含んでも「みりん味」というものがありません。米そのもののおいしさなのです。でも、いつもの料理からみりんを外すと、驚くほど味が変わりますよね。みりんは、料理のなかでは常に脇役。主役にはなれません。主役を引き立てるのが、みりんなのです。
みりんを使った料理は、口に含むとまず甘さが来て、その後、旨みに変わる。最初の甘さで味覚を研ぎ澄ませ、役目を終えた甘さはスッと消えてくれるので後ろに控えた旨みが引き立つのです。
自然のおいしさにはリズムやハーモニーがある。化学調味料では一口目も二口目も、ずっと味が変わりません。お客様から「三河みりんを使うようになってから砂糖を使わなくなった」という声をよく聞きます。それは旨みが関係しています。旨みがしっかりあれば、甘辛に頼る必要がないのです。
恵み豊かな三河だから醸造が発達その豊かな風土も守りたい
尾張三河は大地の恵みが豊か。温暖な気候のため冬でもさまざまな野菜が作れます。当然、米や豆や麦も収穫でき、保存食として味噌が作られ、たまり醤油など調味料が作られるようになった。また、食べつくせないお米をおいしくいただくために酒造りが始まった。明治初期までは灘・伏見を負かすほど酒造りが盛んだったのです。
みりんの原料の焼酎は、昔は酒粕から造っていました。酒粕が容易に手に入ったから焼酎を造り、みりんに発展した。大地の恵みがあったからこそ醸造が発達し、酒造りが盛んだったからこそ、みりんができたのです。
田んぼや畑が、どれだけ日常の生活に潤いを満たしてくれているか。米という食料としてのみの価格がつけられていますが、収穫前の田んぼや畑には、それ以上の価値がある。
風土を味わう、ということ。お茶碗一杯のご飯で、環境保護に参加できます。365日食べ続けたら、ひと抱えの田んぼの緑を維持できる。そういった環境との関わりも含めて、これからもおいしいみりんを造っていきたいと思っています。