「りら創造芸術学園」は、いわゆる5教科も学習しつつ舞台など創作芸術活動を通して人間力を養う高校です。その地域活動のプロジェクト「りらファクトリー」の生徒たちは和蝋燭の原料であるブドウハゼの原木を発見し、その化粧品の商品開発にまで挑んでいます。主体的でありながら協調性を備えた豊かな人間性を「生きる底力」とし、その育成を目的としているこの学校を創設した山上範子校長に話を伺いました。
「毎日、人前に立って話しているうちの生徒たちの度胸とプレゼン力はすごいです。文章力もしっかり身についている。それは、現代の大学進学において必須の力といえます。AO入試や推薦に強いので絶対に受かるんですよね」と山上範子氏
学校法人 りら創造芸術学園 理事長 りら創造芸術高等学校 校長
山上 範子(やまがみ のりこ)
1982年大阪を中心にダンス・フィットネス団体を設立。幼稚園から大学生、さらに80代の方々までの年代別に応じたカリキュラムを考案し指導。その間、日本各地の神社などで舞の奉納をさせていただき、歴史、神話に触れ、自然との共生、人の心をテーマに舞台作品を創作し発表していく。自然や地域の伝統文化を意識した創作活動を通して、創造をテーマに教育をおこなうの重要性に気づかされる。高等学校のカリキュラムに舞台芸術や美術を積極的に取り入れた新しい教育を提唱し、2007年3月学校法人りら創造芸術学園創設、理事長に就任。りら創造芸術高等学校を開校し校長として現在に至る。
▶︎りら創造芸術高等学校についてはwebサイトをご覧ください。https://www.lyra-art.jp/
みんなで創作するという
本当の喜びに出合う
——この学校を創ろうと思われたきっかけについて伺えますか?
私は小さいころは運動が好きな子どもで、芸術には興味があまりなかったんです。興味を持つ前に、子どもって成績表で自分の得手不得手を刷り込まれてしまいますよね。私は小学生のとき、体育の成績が良くて図工の成績が低かったので、スポーツが得意で芸術は苦手と思い込んでしまいました。踊るのは好きでしたが、当時はダンスの教室もなく、もちろんダンス部もありません。運動系の部活といえば、バレーボール、テニス、バスケットボールなどしかなく、私はテニスをしていました。高校で進路を考えるときも、運動を活かせるという理由で体育の教師を目指して体育系の大学に入りました。そこで、ダンスに出合ったのです。スポーツは勝負の世界。負けることも次のがんばりにつながるのだと思います。でも、私が知ったダンスの世界は、勝負ではなく、それぞれの自己表現の世界でした。
創作には、正解がありません。自分がこれでいいと思ったことが正解です。みんなで内容を練りに練って話し合い、振りつけを考えて創作していく。そこに本当の喜びを感じました。すごく楽しくて「こんな世界があったんや!」と、のめり込みました。
大学卒業後は体育教師となり、中学校で体育の授業を受け持ちました。そのなかでジャズダンスを取り入れたところ、校長先生から「待った」がかかりました。
——それは何年ぐらい前ですか?
40年ぐらい前ですね。ダンスの授業をすると、子どもはみんなワクワクしてすごく喜んでくれて、はつらつとして楽しみに待っていてくれていました。リズムに乗ってダンスを踊ると、思い切り汗をかいて発散できる。なにより「みんなでなにかをつくる楽しさ」を子どもたちに伝えたかったのです。ギターを持っていって、子どもたちと輪になってギターを弾き合ったりしたこともあります。でも、それもまたストップがかかりました(笑)。
当時は、ジャズダンスを中学校の授業に導入するのは、まだまだ難しい時代だったのです。そこで学校を離れて、自分で一からダンスカンパニーを創設しました。ちょうどダンスブームがやってきて、需要が増えたのでインストラクターを養成して、大阪の堺や千里、神戸と教室を増やしていきました。朝から晩までダンスをして振り付けをして、本当に楽しかったです。
そのうち精神性をテーマにした作品を創作したくなり「人の心」や「自然の摂理」、「古来の伝承」などをテーマにした作品創りを目指す新たなカンパニーを創設しました。
生徒やインストラクターが集まって、みんなで話し合っては創りあげていく。私の弟がシナリオを書いてくれて、それをどうダンスに落とし込むのかを考えて発表していました。創作活動のなかで、出口を見つけるまで悩みながら仲間と考えたことや、話し合いに膨大な時間を費やしたこと、多くの人との出会いから学んだこと。これほど情熱を持って取り組み、達成感をもらった経験はないといえるぐらい、多くを教えてもらいました。それらが、この学校のベースになっているといえます。
舞台というものがどれだけ人を本当の喜びの世界に連れていってくれるのかということを、あらためて知りました。
子どもたちが緊張しながら舞台袖から光のなかへ飛び出していき、戻ってくる。そして、「先生、どうやった?」とキラキラした顔で聞いてくる。ステージで踊る子どもたちを見るお母さんやお父さんも笑顔になる。練習して練習して、当日までは本当に大変。でも、終わった後はみんなが喜べる。出演した人も、見る人も、裏方も、だれもが幸せになる一日が作れる。これは教育に使える!と思いました。みんなが同じだったらうまくいかない。異なる人が集まって、みんなで協力して最高に幸せな一日を作る。こんな素敵なことはないですよね。素晴らしいツールだと思ったのです。
手を繋ぐことの大切さ
それを学ぶのが学校
子どもたちが楽しいと思えて、みんなで一つの頂点を目指して、しんどいことも共に乗り越えていく。そして、全員で達成感と感動を体験する。そんな場が必要です。こういうことが学校にたくさんあればいいのに。子どもたちが輝き、自分はこれでいい、自分の役目を果たすことができた、という自己肯定感をもつことができる場を、私たち大人は数多く用意する必要があると思うのです。
今の子どもたちは、精神的に進化していると思うことが多々あります。子どもたちの疑問や、おかしいと思う事柄に、私たち大人はちゃんと応えられるのか。応えるためには、社会も教育も大きく変革していかないといけないときにきていると思います。
私自身にも子どもがいて、とてもヤンチャでしたが、私から見ると感性が豊かで、私にはない素敵な個性があると思っていました。でも学校では、みんなと同じように行動すること、同じ作品を創ることが望まれます。
そんなとき、「きのくに子どもの村学園」ができることを知りました。どんな教育をするのか、新しい学校とはどんな学校だろう。私自身が学校というものを違う角度から見てみたいという思いもあり、息子を一期生として入学させていただきました。
すると、私の仕事を知った学園長の堀さんから「ダンスを教えて」と依頼され、週に一度、講師をさせてもらうことになりました。堀さんからいろいろ学ぶこともあり、教職員の海外研修としてイギリスの学校に行くときに同行させてもらいました。ぽかぽか陽のあたる場所でみんなでランチを食べる様子を見て、日本の学校との違いに驚きました。
しばらくして、私が目指す教育をおこなう学校を創りたいと思い始めたとき、堀さんが「これからは、いろいろな学校が必要になってくる。もし学校を創るなら、山上さん、協力するよ」と言ってもらったのです。そして発起人会が設立され、堀さんには多くのご協力をいただきました。
神様は子どもたちに、絵画、ダンス、水泳、数学など、それぞれ異なる「得意なこと」を与えているはずです。例えば、全員が全員、数学が得意になるようにはなっていないはずです。それぞれ得意な分野が違って当たり前だし、違うように生まれてくるものです。いろいろな野菜があるから、それぞれを組み合わせて違った味わいの料理が生まれるように、別々の異なる個性が集まっているから、素晴らしい社会になるはずです。何色もの絵の具が混ざって、見たことのない幻想的な虹のような安心感のある場が生まれる。そのなかで子どもたちが育っていけたら素敵ですよね。
この「りら創造芸術高等学校」の教育が一つのモデルになると、私は思っています。こういったやり方もある。生徒たちがこの学校に入った理由はさまざまです。一般教科以外に舞台芸術や美術も学べるため、それをしっかり学びたいと強い志を持って入学してくる生徒。自ら進んで勉強はできるけれど、表現力、主体性、協調性を身につけたいと、自分には足りないところを理解したうえで進学校から転校してきた生徒。中学校を途中で辞めたけれど、再び一歩踏み出すぞ、と決めてきた生徒。ダンスではなく競技スポーツをがんばってきた生徒。さまざまな生徒たちが、みんな毎日朝から登校してきます。いわゆる5教科を学びながら、舞台創りをするので、一般の学校よりも忙しいし、遅くまでかかる。それでも毎日来る。それは、なぜか。楽しいし、やり甲斐があるし、そして、なにより自己肯定感をもてるようになるからです。なおかつ、舞台での発表を通して、だれかの役に立つことができる。だれかのために動かないと、本当の幸せってないと思うんです。「自分のため」が「人のため」にもなるのだということが、わかってくる。手を繋ぐことの大切さを経験しないといけないし、 学校はそれを体験する場でなければならないと思うんです。
意見は一致しないもの
そこからどう抜け出すか
——芸能を身につける学校という誤解もありそうですがツールなんですね。
教育のツールです。技術を学ぶことはもちろん大切です。さらに、みんなでなにかを創りあげることで、自分の役割、人の役割に気づき、集団の一員であるという存在意識をもてるようになる。それは書籍を読んでわかることではなく、実際に体験しないとわからないことです。そうして、ここから世界中に旅立って、次の場所で、同じような体験を広めてくれたらいい。そのうちに、世界は変わるんじゃないかと思うのです。あなたたちが気持ちよく暮らせる世界を作るために、今、この経験をしているということを生徒たちに伝えています。
発表は全学年で作ります。一年生は二年生を頼ってついていく。二年生になると中心になって舞台を創りあげていく。三年生になるとそのサポートに回って全体を見渡してフォローしつつ、自分の進路を考える。衣装はどうなっていますか、チラシはどうなっていますかなどと、全員で毎朝、なにが足らないのかを把握します。そのなかで、自分の得意や苦手などの特性に気づいたり、自分がどう動くべきかに気づいたりしていくわけです。泣いたり笑ったり、喧嘩もします。子どもたちが企画し進めることも多いですが、私たち教師も、子どもたちが行き詰まったときにはフォローをします。話をしたり、一緒に考えたり、時には叱咤激励したり(笑)。また、指導者としてプロの方にきていただいているのは、そうした試練を実際に乗り越えてきているからです。片道4〜5時間かけて来てくださる先生もいます。
——どんな職種に就いても活かせるような体験をしていますね。能動的に自ら動ける人に育ちそうです。
ふんだんに詰まっていますよね。舞台は年間約30回ほどあって、すべて演目からみんなで考える。学校案内にも書いていますが「生きる底力」です。生きる底力というのは、自分で企画立案したり、協力して乗り越えたり、主体性を持って動けるようになること。そして、やはり創造する力。そういう循環の仕組みを作っています。
——意見をぶつけ合う体験も宝ですね。
意見は違って当たり前。話し合いはなるべく途中でやめないほうがいい。腑に落ちるポイントが出ることもあるけれど、なかなかそこまで行かない。でもちゃんと真ん中へ意見を出して、あきらめた答えではなく、より良い意見に落ち着くように持っていく。
——先生も時間も労力も、精神的にも本気で向き合うことになりますね。
そうです。でも、その時間がいかに大切か、私を含めて先生方は経験して知っていますので。そのとき、その場にいっしょにいることが大切で、翌日になにか閃いたりするものです。そのうち相手の話もなんとなくわかるようになってきて「自分ばかり一方的に言っていた」と気づき、人の話もだんだん聞けるようになる。
——いっしょに過ごす時間が大切で、意見は一致しなくていいんですね?
一致するほうがおかしい。一致しないのが当たり前です。それはみんなが通るべき道です。そこからどう抜け出せるかが大切で、そこに教育の果たすべき役割がある。例えば、道徳とは「こうしたらいいですよ」と伝えることではない。教科書のなかではなく、現場にどんなことがあるのか。どんなに腹が立つ相手がいても、同じ一つの舞台のためにいっしょにやらなきゃいけない。そこが舞台をすることのミソです。発表の期日が決まっているので、逆算してスケジュールを組んで準備をしなければならない。
出演時間の調整をしたり、トラブルがあったら臨機応変に対応しないといけなかったり、そんな体験が生徒たちの成長を促すのです。美術作品においても同じです。
本当は、小学生ぐらいからこのような体験ができればいいのですが、一般的には、そういう機会に恵まれることは少なく、中学校まで進んでいきます。高校に入学するころにはすでに、自分の想いを表現できなくなり、自分を守るための鎧兜を身につけてしまっています。それを脱がすのには相当な時間がかかります。
この学校では、子どもたちが個性として本来備えているそれぞれの素晴らしい力を最大限引き出すために、芸術創造活動を中心に置いた教育活動をしています。義務教育である小中学校にも、いつかそんな教育環境を実現できることを願っています。子どもは、大人が想像できないような素晴らしい力を発揮してくれるものです。子どもたちがそれぞれが持って生まれてきた心と魂が光るようになってくれたらと思っています。