2ヶ月前からプチ移住している里山で、事件が起きました。わが家のシニア猫のチビが脱走したのです。16歳(人間なら約80歳)のチビは、私の両親の忘れ形見で、1年半前にわが家の一員となりました。私の両親は猫エイズにかかることを恐れ、チビを家の外に出さず、14年間も箱入り娘として育てていました。そんなチビが脱走したのですから、私は動揺しました。
チビが逃げ込んだ裏山は、深い茂みで覆われ急な崖や小川もあり、人間も深追いが難しい場所です。しかし、チビにとっては新鮮な世界。日の沈みかけた薄暗い裏山で姿を消してしまいました。「自力で戻れなくなるのでは?」「危険な目に遭うのでは?」と、よからぬ心配が頭をよぎります。夫に助けを求めるも、「気が済んだら戻ってくるよ」とつれない返事。チビは一向に姿を現しません。仕方なく、私は捜索を諦め、家に戻りました。
「生きている」という歓び
しばらく家事などをしていると、ふと心の声が湧き上がりました。「私、なんか変じゃない?」「チビが戻らないことがそんなに問題なのか?」「最悪のシナリオを考えても、死はいつか平等に訪れるものではないか」そんな考えが巡るうちに、心境の変化が訪れたのです。問題視していた状況(チビの失踪)から物理的に離れ、距離を置くことで、私の視点がリセットされたのでしょう。
考えてみれば、15年間も、安全とはいえ、狭い世界で飼い慣らされてきたチビにとって、里山はなにもかもが新鮮で楽しいに違いありません。新しい世界にワクワクしているでしょう。未知の世界に、多少はビクビクするかもしれないけど、裏山を冒険しているチビは、とても生き生きしているに違いない。そう思えたのです。
人間も同じではないでしょうか。冒険や挑戦、新しい体験に心がワクワクしたことはありませんか? 「面白そう」「やってみたい」という、心の声のとおりに動くと、イキイキして、元気が出てきませんか? 私はそんなとき「生きている!」と、感じるのです。たとえようのない歓びが湧き上がり、幸せな気持ちになります。
だけど、私たちは、自分の心の声を無視してしまうことがありますね。なにかに心が動いても、理性で心と身体にストップをかけてしまうのです。よからぬ状況を想像したり、過去の記憶で「自分には無理だ」「これは危ない」などと自分に言い聞かせたりしながら。
冒険に出なければ、無傷かもしれません。挑戦しなければ失敗はないかもしれません。痛みも恐れも味わわずにすむのかもしれません。しかし、自分を理性で制御し続けると、自分の人生を「生きている」という感覚が失われ、生命力も弱ってしまいます。
生まれながらの性質
チビの脱走はそんな理屈ではなく、猫の本能によるものですが、人間にも本能があります。好奇心や成長意欲など、「もっと、もっと」という心の性質です。その本能の制御を解けば、私たちはもっと楽に行動でき、成長や幸福を享受できるようになります。冒険の痛みや傷も「生きている」実感につながります。私たちは、思うよりも、遥かにたくましい生き物なのです。
すっかり心も身体も寛ぎ、夫と囲炉裏でのバーベキューを楽しんでいると、何事もなかったかのようにチビが戻ってきました。冒険を終えた姿は、堂々として、とても誇らしく見えました。後日談ですが、野性を呼び覚まし、外の世界の楽しさを知ってしまったチビは、隙あらばと脱走のチャンスを狙うようになりました。すでに4回も成功しています。脱走の末、いつかお別れの日が来ても、私は後悔しないでしょう。なぜなら「チビは生きた!」と言い切れるから。私たちも、野性を呼び覚まし、冒険に出てみましょうか。