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農業ルネッサンス元年

川平 俊男 (かびら としお)

1950年米軍統治下の宮古島で生まれる。家業は農業。自然豊かな前近代的農業、農村で育つ。69年島根大学へ留学。趣味は器械体操といたずらを考えること。70年代から親の家計を助けるため那覇で働く。「オキナワーヤマトユイの会」に参加し援農活動の受け入れ。「琉球弧の住民運動」事務局に参加し奄美琉球各地域島々の地域づくり島興し運動を支援。沖縄農漁村文化協会を結成し農漁業、農漁村の未来像の研究を続ける。宮古島に戻り農業をしながら自然塾を主宰し、農的学習法を編み出し、地域教育に取り組む。一方で農作物の研究および生産を始める。多くの生産者が作っても売れない事情を知り販路拡大の応援。95年ごろ「宮古の農業を考える会」を結成し有機農法の普及拡大と循環型社会づくり運動を始める。有機農法の限界に気付き、無農薬無肥料栽培に進む。10年前から親の介護を続ける。

【Vol.83】自立は楽しい ! ! ②

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 「困っている人の役に立ちたい。そのような仕事や活動を自分の体が動く限り続けていきたい。私は生まれた時から(1970年生)自分の体を自分が思うようには動かせない難病と向き合ってきた」と語り始める砂川幸夫さん。一歩も動けずくる日もくる日も家で独りジッとしている自分をまわりの人たちがおんぶして外に連れ出してもらっていた幼少時の事は父母からくり返し聞かされた。3才の頃、ハワイの訓練施設へ行き、3ヶ月間で杖を使って歩けるようになった事もまわりの人たちの協力で実現できた。ハワイでは中三の時、4ヶ月間、再訓練を受けた。小学、中学は宮古(島)で高校は沖縄本島で過ごし、そのまま仕事に就いた。ヘルニアを患い、仕事をやめ、宮古(島)へ帰り、療養する。友人のすすめでヘルニアの手術を受け、ある障害者施設へ通う。その後、新しくできた共同作業所で働く。そこで前号で紹介した東内原旭さんに紹介され、仕事帰りに週3回、自立生活支援センター「まんた」で障害者が自立するために必要な事を学ぶ。生家を出て、自立生活を始めて2年経った。現在は「まんた」で宮古アクセス・バリアフー推進隊ピア・サポーターとして活動している。「誰もが安心して暮らせる地域づくりを目指して」(幸夫さんの活動目標)活動する当面の課題はノンステップバスを宮古(島)の各地で走らす事ですと目を輝かして話す。常に笑顔を絶やさず、澄んだ目の光りは人の心をおだやかにし、静かに勇気を与える。「まんた」代表の長位さんの名刺には『夢は希望に!希望は行動に!!行動は現実に!!!』私たちは諦めない!!
 真の“共生社会”を目指して……と刻まれている。砂川幸夫さんの活動と人間性はこの事を実感として伝えている。「私たちが今日あるのは親・地域の人たち、友人、教師、その他多くの人たちのおかげです。日々感謝しています。その恩返しのために障害者や困っている人たちの手助けをしたい」。幸夫さんと話していると宮古(島)の将来に一筋の光明が射し込んでくる事を感じる。
 自立生活を切り拓いてきた大先輩、中村晋作さんを紹介します。1950年山口県で生まれる。重度の脳性麻痺症でその上、事故で片足を太股から失っていて車椅子生活。15才で独学で油絵を始める。1974年、第38回山口県美術展覧会で入選し、以来連続5回入選する。その後、各地の展覧会で受賞する。全国各地で個展、二人展グループ展を開く。2010年、縁あって宮古(島)に移住する。絵画創作だけでなく教会に通い、みやこ9条の会や様々な平和運動に積極的に参加し、ブログで平和活動の発信をしている。取材時、いくつかの作品を前に絶句した。帰宅してから、パソコンに収められている過去の作品を前に再び絶句し、深夜まで身動きできなかった。特に宗教的主題が絡み合う作品は晋作さんが人間の根源性(明るいものだけではない)の深淵に突き当たり、そこから何かを表現しようともがいているように感じられるが私の力量ではそれを表すことばが見つからない。晋作さんが通う教会の牧師(平良修。宮古出身。元キリスト教短大学長。夫婦で熱心に平和運動を続けている)に相談した。平良牧師は「作品の感想を述べる力量は私にはない。ただ、宗教との出合いは晋作さんの心奥に何かを生み出していった事は確かだと思う」と言われた。2014年1月に宮古(島)で開かれた中村晋作展の案内ハガキを紹介する。

「タイトルにかえて」

こちらの暮らしも丸4年になる。これまで美しい島の風物を素材に描いてきた。しかし光が強ければ強いだけその影も深い。人は生まれ、育ち、愛し合い、また憎み、そして死ぬ。どこでも同じだ。世界で、日本で、過ちを犯しつづけ、自分自身の犯している問題も何ら変わってはいない。新年明けて1月。宮古島での新作7点と旧作を合わせての展示。ここらでちょっと一区切り。これが終われば光と深い影の中の「人」を描きたい。

中村晋作

 「晋作さん、宮古(島)でのくらしはどうですか?」
「ここで生涯創作活動を続けたい」。

川平 俊男
1950年米軍統治下の宮古島で生まれる。家業は農業。自然豊かな前近代的農業、農村で育つ。69年島根大学へ留学。趣味は器械体操といたずらを考えること。70年代から親の家計を助けるため那覇で働く。「オキナワーヤマトユイの会」に参加し援農活動の受け入れ。「琉球弧の住民運動」事務局に参加し奄美琉球各地域島々の地域づくり島興し運動を支援。沖縄農漁村文化協会を結成し農漁業、農漁村の未来像の研究を続ける。宮古島に戻り農業をしながら自然塾を主宰し、農的学習法を編み出し、地域教育に取り組む。一方で農作物の研究および生産を始める。多くの生産者が作っても売れない事情を知り販路拡大の応援。95年ごろ「宮古の農業を考える会」を結成し有機農法の普及拡大と循環型社会づくり運動を始める。有機農法の限界に気付き、無農薬無肥料栽培に進む。10年前から親の介護を続ける。

プレマ株式会社の『宮古島プロジェクト
宮古島の自然農法を推進し、島の健全な地下水と珊瑚礁を守り、お客様に安心と安全を届けます。

- 農業ルネッサンス元年 - 2014年8月発刊 Vol.83

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