不安を認める
自分らしく生きていきたいと思うのは、誰もが願うことでしょう。とはいえ、みんながやりたいことをやって生きていられるわけではありません。その心配の種となるのは「そうはいっても、食べていかなきゃ」という不安ですね。考えてみれば、食べることは生きることのなかにある一つの要素に過ぎないはずなのに、食べるために生きることを犠牲にしてしまうというのはもったいない気がします。
マクロビオティックの提唱者である桜沢如一は『道の原理』のなかで次のように述べています。「自由とは、自分のやりたいことをやりたいだけ、しかもそれをいつまでもやれる人間の行動につけられた名前である。幸福とは、自分のやりたいことすべてをやりたいだけ思う存分いつまでもいつまでも何の道具も用いずやりとげる人間の精神である」。
自由を「行動」、幸福を「精神」というあたりがおもしろいところです。
最近のある調査で、ビジネスマンを対象として希望する年収を尋ねたところ、過半数の回答が「現状の2倍」だったそうです。これは年収が300万円の人も、2千万円の人も、1億円の人も共通して、その金額の多い少ないに限らず「2倍」と答える。誰もがみな、現状には不安を抱えるものなのでしょうか。だとしたら、不安は不安として認めて、ないものねだりの視点を変えてみるのもいいかもしれませんね。
覚悟と準備
治療院ではカウンセリングの時間枠を設けていることもあって、病が進行して現代医学では手の施しようがなくホスピス病棟を勧められた人がいらっしゃることもあります。
病治しには、①病が治らずに困っている人、②病が治って良かったという人、③病になって良かったという人、の三つの段階の人が存在しています。
病気をしたおかげで、家族と会話するようになり仲良くできた、生き方を見直すことができた、病気になって良かった。そう言えるほどになっていく人たちを見ていて感じるのは、いまを生きることの大切さです。どうにかできることはどうにかしようとし、どうにもならないことはどうにもならないと受け止める、潔さといってもいいでしょう。仏教では、どうにも思うようにならないことを「苦」とし、その根本的なものを生・老・病・死の「四苦」としています。この四苦については、良い意味で諦められることが生きる希望につながるのだと思います。
少し前のことになりますが、「病気でさえなかったらな……」とおっしゃった人がいました。そこで尋ねてみました。病気でなかったら何かしたいことはあるのか。答えは「山に登りたい」。アルプスか?富士山か?どこ?
「別にそんな大掛かりなものでなくてもいい」。だったら、ご近所の裏山でもいいよね?
病気が治らなくても登れないかな?
「登れると思います」。じゃあ、早速来週にでも登ってみたら?
そして、そこから視点が変わっていきました。余命半年と宣告されたはずなのに、2年以上経った現在も元気でおられます。
「覚悟」とは、迷いをなくして真理を得ようとすること。その心があってできること。「準備」とは、ただ行動で用意していくこと。覚悟なくしての準備では、死に支度をするようなもので、希望が持てなくなるものです。
教育と教養
つい先日のことです。ご高齢の患者さんから尋ねられました。「年がいったら『教育』と『教養』が必要やって、知ってる?」と。はぁ、教育と教養……。「きょういくとは、今日行くとこ。きょうようとは、今日用事することなんや。だから、教育と教養がなかったらボケるねん」。なるほどと思いました。日々やることがある、その先に希望がある。だからこそ、いくつになっても元気でいられるのでしょう。
「青春とは人生のある時期ではなく、心の持ち方を言う」とは、詩人・サミュエル・ウルマンの言葉。
いつまでも、心を前向きに持っておきたいものですね。
圭鍼灸院 院長 鍼灸師
マクロビオティック・カウンセラー
西下 圭一(にしした けいいち)
新生児から高齢者まで、整形外科から内科まで。
年齢や症状を問わないオールラウンドな治療スタイルは「駆け込み寺」と称され医療関係者やセラピストも多数来院。
自身も生涯現役を目指すアスリートで動作解析・運動指導に定評がありプロ選手やトップアスリートに支持されている。
兵庫県明石市大久保町福田2-1-18サングリーン大久保1F
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http://kei-shinkyu.com