春ですね。最初の緊急事態宣言が発令されて外出自粛が呼びかけられてから、ちょうど一年になります。外出の機会が減り、外で季節を感じることも減ったでしょう。できなくなったことばかりが目に付きがちですが、一方できるようになったことも増えた一年ではないでしょうか。
遠くまで行かないとできないと思っていたことが、近所で、あるいは自宅にいながらでも、できるようになった。そんなことが、いくつもあったことと思います。
春在梅梢帯雪寒
「春は梅梢に在りて雪を帯びて寒し」。曹洞宗の開祖である道元禅師の師匠であったといわれる、如浄禅師の言葉です。「まだ冷たい雪を帯びてはいるけれど、春はもう梅の梢にある」という意味です。春はこんなに身近にあったのに、わざわざ探しにいくことはなかった、という意味にも取れますね。
「春」を「幸せ」とか「真理」と読みかえることもできるでしょう。なにか特別なことがないと幸せにはなれないという思い込みはないでしょうか。本当は身近なところにあるのに、それに気づけないということはあるでしょう。もしかしたら、自分が求めているものとまったく同じかたちではないがゆえに、気づけないということもあるでしょう。春の気配を求めて桜の花を探していたが見つからない、ところが目の前にある梅花の香りから春の訪れに気づく。そんなところでしょうか。本当は自分が求めているのは「春」であるのに、「桜の花」を求めていた。春という季節への思い込みを外してみる必要があるのかもしれません。
「灯台下暗し」ともいわれるように、人は身近なところにあるものには意外と気づきにくいものです。本当に求めているものはなんなのか。考えすぎるのを少しやめ、心を落ち着けて、感じてみることが大切なのでしょう。
似たような言葉に「足るを知る」があります。現状で満足しろとか、我慢しようというふうに解釈されることがありますが、少し違うように思います。
「足るを知る者は富む」と続きますが、現状で我慢していて、突然お金持ちになるはずがありません。そうではなく、いまあるもののなかに満足できるものを見つけ、いまそれがあることに感謝をし、そのうえで向上心を持つことが大切なのです。
先のたとえでいえば、梅を見つけても「なんだよ、こんなもの。自分が探しているのは桜なんだよ」と言ってしまえばそれまでです。そのままでは、なかなか春には出逢えないかもしれません。雪に被われている梅の木の枝の先に、これから花を咲かせようとしている蕾を見つけ、もう間もなく春が訪れることに気づいて、春に向けて動いていくための準備を始める。「梅の花、知らせてくれてありがとう」。そう思えるのと思えないのとでは、その先で結果が違っても当然でしょう。
コロナのおかげ?
一年を振り返ってみて、「コロナのせいで……」と思いがちだったことを、一度「コロナのおかげで……」と置き換えて考えてみてもいいかもしれません。コロナのおかげで自宅にいる時間が増えた、家族との会話が増えた、自分と向き合う時間が増えた、もしくはダイエットができたかもしれない、苦手なことを克服できたかもしれないと、挙げていくと、きっといくつもあるはずです。
何年も会っていなかった友人と、オンラインで会うことができたという人もいるかもしれません。一年前まではオンラインミーティングのツールなど使いこなせなかったという人もいるかもしれません。この一年でできるようになったこと、そして今そのことに気づけたことが、これからの将来に向けて、自分の強みに変わっていくかもしれません。
自分なりの「春」、探してみませんか。