近年「フェムテック」という言葉が話題になりはじめ、さまざまな企業が女性をターゲットに生理や更年期、性的なことに関するサービスやグッズの販売をはじめました。販売をするためには、イメージ戦略が必要です。より明るく女性たちが手に取りやすい雰囲気での広告がおこなわれていき、スポンサーとなる企業はメディアへプレスリリースを配信しますから、そのイメージがこれから浸透して社会全体の共通認識として変わっていく流れとなるでしょう。しかし「性」に関することが「広告」にされていることに対して、なんとなく違和感を感じる方も少なくないのではないでしょうか?
違和感も大切な感覚
なぜ違和感を感じるのか。その答えは非常にシンプルです。それはもともと「性」は人間にとって、とても神聖で厳かなことだからです。
人間の文明が栄えはじめたころの古い歴史を調べると、太古の人々は女性器や男性器の造形を、ありがたい自然のひとつとして神域に祀って拝み、男女の営みは、非常にスピリチュアルで神聖な行為としていた時代が長かったことがわかっています。
その歴史を知っていても知らなくても、わたしたちの遺伝子に組み込まれた無意識の記憶が、現代の商業的でキャッチ―な表現とのギャップに違和感を感じるのではないでしょうか。
また、その古代文明の後に「卑猥な」行為としてイメージづけしていったのは、風俗産業です。赤ちゃんが生まれることや結婚に対しては「おめでたい」とお祝いする一方、生理や性行為については「汚い・面倒」「いやらしい・変態」といった偏見や、性に興味を持つことへの罪悪感があるのは風俗産業によるイメージ戦略にしっかり洗脳されてしまっている証拠でしょう。
いずれにせよ、あなたが感じるその違和感は、ごく自然な感覚で、その気持ちはこれからもぜひ大切にしていただきたいと思います。
自らを分けて心をひらく
矛盾しているようですが、わたし自身は長年女性たちに性のことをお伝えし続けています。それはわたしは人よりもほんの少しだけ勇気があって伝える役割を天命として授かっているだけで、みんながわたしと同じようになる必要はありません。
わたしは性はオープンにせず「隠す」方が自然とだと思っていますが、それは「他人」へ対しての話です。自分の心のなかにある本音や、心と身体との間では、積極的に関心をもちオープンに対話することをおすすめしています。
「自分」という漢字の通り、わたしたち人間は自身のことを認識するとき「自ら」を「分け」て二人称で捉えることができる動物です。例えば「彼のことは大好き。ハグもキスもしたい。でも今日はわたし身体がひどく疲れているんじゃない? 夜の営みまでは無理かな」など、心のなかで気持ちと身体との対話を常々おこなっていますよね。そのように心のなかでは性のことにしっかりと興味関心をもち、自分のなかでオープンに対話していくことは心身の健康に非常に大切なことです。
そのように心のなかで普段から性のことへの対話が日常的におこなえていると、パートナーとの対話や、子どもさんとの間においても、自分の想いを伝えるその範囲やタイミング、言葉による表現力を身につけていけるようになります(無関心だとそれが難しいのです)。大切な人との間にだけ、こっそり限定で必要に応じて愛について語り合うことができれば、それで充分に家庭内が平和で幸せなことではありませんか。