たのしくなければ 人生じゃない

自己決定・個性化・体験学習
きのくに子どもの村学園長 堀 真一郎先生インタビュー 前編

「この勉強が将来なんの役に立つの?」
日本の通常のカリキュラムで育つと、どこかで必ず聞く言葉です。
和歌山にある「きのくに子どもの村」で育つ子には、きっと無縁の言葉でしょう。
なぜなら、プロジェクトと呼ばれる仕事のような
チームによる体験学習のなかで「かず」や「ことば」を学ぶからです。
この学校を創立した堀真一郎学園長は、現在、福井、山梨、福岡にある関連学校をご自身の車で行き来しておられます。
いくつになってもお元気な堀先生の魅力に迫ります。

次男が生まれることをきっかけに「学校を作る」ことを決意

―これまでになかった自由学校を作り日本全国を飛び回っておられる。パワフルな行動力は子ども時代からですか?

堀 パワフルという自覚はないのですが、行ったことがないところに行くのが好きな子で、いつもと違う道を歩くと興奮して楽しかったです。この道とあの道はどうつながってるんだろうと興味津々でワクワクしました。
子どものころ憧れたところが2つあります。1つはモンゴルの大草原。チンギスハンが成長していく過程の小説が、ある雑誌に連載されていたのがきっかけです。もう1つはアフリカのヴィクトリア湖。スコットランドのデイヴィッド・リヴィングストンという人がアフリカに探検に行き、ナイルの源流を探しにいく話に影響を受けました。もう訪ねることは叶わないかもしれませんが。

―「新しい学校を作る会」の発足はいつごろですか?

堀 1984年、41歳のときです。二人の息子は、現在、この学校に関わってくれていますが、その次男が生まれるとわかったときのことです。何年かかるかわからないし、できないかもしれないけど挑戦しないで引いてしまうのは嫌だったので。そこから8年かかりました。

―あきらめる人も多い年齢ですよね?

堀 そうですね。それまで大阪市立大学に勤めており、そこで幼児教室という形で手作りおもちゃの教室などを開いてきました。教育の楽しさ面白さは知っていましたが、その先に「小学校を作る」というテーマがあったんです。
私は京都大学出身ですが、京都大学は大学全体にどことなく反中央、反権力、反伝統みたいな雰囲気が漂った大学なんですね。大阪市立大学に来てみたら、同じような雰囲気だったのです。
当時の教授にも「好きなことをやってよろしい」と言われました。若い研究者は上の人に潰されるといわれますが、その点は違って本当にいい大学でした。そのうち研究室が文系から理系に変わり、研究費の予算が増え、本や勉強だけではなく、子ども相手に実験的に研究ができるようになったのです。そこからどんどん繋がっていったことになると思います。
さらに前のことをいえば、京都大学の教育学部の指導教授だった鯵坂二夫先生は、玉川学園を創立した小原國芳先生の甥にあたる方で、「卒業論文でイギリスのニイルについて書きたい」と伝えたら「それはいいね。やりたまえ」と、研究費を使って資料を集め、ニイルの本を翻訳していた霜田静志先生に紹介状を書いてくださいました。

好きなことをやらせてもらってきたずっと運が強かったんです。

そこで霜田先生に会いに行くと、また喜んでいただいて。いい先生に出会い、いい大学に入り、いい大学に勤めて、研究費にも恵まれて、好きなことを好きなようにやらせてもらってきた。運が強かったんです。
大学入学時には僻地教育を専攻しようと思っていました。小学校の教員だった両親の影響で教育学部を選びましたが、特に、母が山奥の僻地に勤めていたことが影響しています。全校生徒が約30人。男の先生と女の先生が一人ずつで『二十四の瞳』のような感じです。母が1~3年生を、男の先生が4~6年生を受け持っていました。2つの教室はつながっていて授業中でも行き来できるようになっており他学年の子と交流できたのです。しかし大学3年生のときにニイルを知り、そこから方向が変わりました(笑)。
学校づくりについては決して簡単ではありませんが、とにかく続けてみようという感じでした。そこに突然話が舞い込んできたのが、子ども服のミキハウス。社長が湯布院の山に広い土地を買って子ども達の施設を創ろうとしているという噂を聞き、「新しい学校をつくる会」の活動状況をミキハウスの秘書の方に預けたことがきっかけで、社長とお会いすることができました。当時、企業の寄付は多くても100万円。でも、一億円出すと言ってくださったんです。本当に驚きました。企業の寄付金は上限が決まっているため実際には6000万円でしたが、おかげで一気に弾みがつきました。残り4000万円も中学校を創立するときにいただきました。さらに教員免許を持つ社員で興味を持ちそうな人を、給料を持つことを条件に派遣してくださったのです。

―理事の話はお断りになったとか……

堀 はい。ミキハウスのイメージが定着してしまうことを懸念してくださって。すごい人ですよね。延べ6人が派遣されてきましたが、そのうち2人がきのくにで結婚しました。

―職場結婚、よくあるんですか?

堀 はい。うちはカップルが多いんですよ。フルタイムの職員の3割ぐらいはカップルです。ありがたいのは求人募集しなくても自ら教員に応募してきてくださること。学生時代に卒業論文を書くために足繁く通い、そのまま勤務することになった人も60人の教員のうち20人ぐらいいます。うれしいことですね。

―自身の先生は参考にならなさそうですね。教員の研修はどうされていますか?

堀 今日も教員や寮母さんなどスタッフみんな集まってミーティングをします。新しい年度のそれぞれのクラスについてアイデアを持ち寄り意見をいい合うのです。どうしたら良くなるかアドバイスしながら、一年間の計画を立てる。これが一番いい研修になっていると思います。

例えば、プロジェクトで米を作る場合、どうすればさらにもっと広げることができるのか。﹁なぜ日本は米が余っているのに食料不足の国にあげないの?あげたらいいのに﹂と子どもが言いだすとします。でも現状はできない。その国の農業形態に影響を与えてしまうという理屈だそうです。その一方で、アメリカは、なぜ日本に米を買えというのか……そうすると、今の大統領は日本は車を大量に輸出してくるから赤字だと怒っているという話になる。では日本はアメリカから何を買えばいいのか。日本がアメリカから買う一番高額のものはジェット機や自衛隊の装備である……そうなっていくと、米作りから世界平和まで広げていくことができますよね。その気になれば、とめどなく話は広がっていくはずなんです。

―大変ですね。教科書だけじゃなく社会情勢を知らねばならない。

堀 新聞を読まなきゃいけないしね。たくさん読書する人は有利です。子どもたちはどんどん話に食いついてきますから。

―先生は挫折したご経験は?

堀 強いて挙げるなら、前任の教授が辞めたときです。人事に応募したのですが、ちょっと嫌な画策があり大学を去ることも考え始めました。結果として「学校づくり」という好きなことをする方向に変えられたので、それはそれで良かったと思っています。

―まさに一生青春というか……ずっと、とても楽しそうに聞こえます。

堀 そうですね。今になって思うのは、ありがたいことに大きな怪我や病気をしていないんですよね。子どものころから風邪をひきやすかったので、発熱はありましたが、それで入院することもありませんでした。それが一番幸運ですよね。

―なにか健康法をお持ちですか?

堀 特に何もしていません。きのくに子どもの村ができたとき48 歳でしたので、10歳サバを読んで「38歳」と、今もずっと言い続けています。子どもたちも最近は「永遠の38歳」と言ってます(笑)。なかには本気にして計算する子や、「何年生まれ?」と聞いてくる子もいます。毎年覚えておかなきゃいけない。

―客観的に見て、楽しく過ごしてこられた理由はなんでしょうか?

堀 やはり、運が良かった。それだけです。学校ができたときも「創った」というよりも「できてしまった」と感じたものです。
(次号に続きます)

堀 真一郎(ほり しんいちろう)

1943年福井県勝山市生まれ。66年、京都大学教育学部卒業、69年、同大学大学院博士課程を中退し大阪市立大学助手。90年、同教授(教育学)。大阪市立大学学術博士。大学3回生のときにニイルの自由学校「サマーヒル・スクール」の存在を知る。「ニイル研究会」「新しい学校をつくる会」の代表をつとめ、92年4月、和歌山県橋本市に学校法人きのくに子どもの村学園を設立。94年に大阪市立大学を退職して、同学園の学園長に専念。宿題がない、テストがない、チャイムが鳴らない。週1回の全校集会を含むミーティングは子どもが議長。ニイルとデューイを実践において統合した教育を方針とするため自由学校を創設した。

 

 

 


取材を終えて

「きのくに子どもの村」を知ったのは長女が小学2年生のとき。幼稚園ではむしろ優等生扱いをされていたのが、小学校で「板書をしていると先生の声が入ってこない。先生の話を聞いていると板書ができない」という理由で学習が遅れ始めた。集中力に差はあれど、お使いを頼んでも、いっしょに遊んでもなかなか利口。彼女の個性を活かしたまま学習意欲を引き出すことはできないものか。インターネットもない時代、アナログに探してたどり着いたのが「きのくに子どもの村」だった。当時の夫の経済的問題により断念したが、それがなければ入学させていたと思う。
堀先生から伺って感心したことはいくつもあるが、驚いたのは「いじめ」をみんなで話し合うこと。非常に勇気のあることであり、それぞれが「いじめ」を「自分ごと」ととして捉えることができるのが、大きなポイントだと思う。それぞれの言動に責任を持たなくてはいけなくなる。これは学校に限らず、職場や自治会などすべての集会に共通することではないだろうか。続編では、学校創立のプロセスや、モットーなどについてさらに教えていただく。

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編集室Roots 代表
藤嶋ひじり(ふじしま ひじり)

『らくなちゅらる通信』編集担当。編集者ときどき保育士。たまにカウンセラー。日経BP社、小学館、学研、NHK出版などの取材・執筆。インタビューは1,500人以上。元シングルマザーで三姉妹の母。歌と踊りが好き。合氣道初段。