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インタビュー取材しました。

原発のいらない世界を率先して生きる こだまや 店主 児玉 誠 氏 インタビュー

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祝島は、瀬戸内有数の漁場である周防灘と伊予灘の間に浮かぶ山口県の島。手つかずの自然が広がる海岸では多種多様な海藻が育ちます。2011年から島で暮らし、伝統製法で乾燥ひじきを作る「こだまや」の児玉誠さん。島の対岸で40数年にわたり原発建設計画がくすぶるなか、自然と共に丁寧に暮らしている児玉さんが伝えたいこととは。

島の子どもたちと田植えをする児玉さん(右)祝島の住民は現在300人弱まで減少し大半を高齢者が占める。「今ある島の精神性を次世代につなぎたい」と話す

こだまや 店主
児玉 誠(こだま まこと)

広島県生まれ。20代を東京で過ごすなかで現代の食の在り方に疑問を持ち、天然の海藻がふんだんに生育する山口県上関町の離島、祝島にて海藻の収穫・加工・販売を始める。環境に負荷をかけない暮らしを中心に、島暮らし体験やイベント企画など島の魅力を伝える様々な活動に取り組んでいる。海藻研究の傍ら音楽を愛するベーシスト、シンガーソングライターでもある。

 

祝島の美しい海で
暮らしを立てる

——2011年から祝島で生活を始めたのは、なにがきっかけだったのでしょう。

20代はミュージシャンに憧れて故郷の広島から上京し、東京で暮らしていました。当時は現代の食のあり方が環境に与える負荷を考えてベジタリアンになり、キッチンカーでベジタリアン料理を販売していました。そこで、食べ物がどこからきて、どのように作られ、どのように消費されるかを知ることになって。同業者の多くは「売れても売れなくても、材料を安く仕入れて多めに作っておけば利益になる」という考えで、食品ロスが多く出ている実態も見ました。都会に住んで、外部から入ってくる食糧だけを頼りにしていたら、いずれ都市全体が行き詰まってしまうだろうと。自分が危うい場所に住んでいるという認識が深まって、どこか違う場所に住もうと考えるようになりました。

そのなかで、菜食の食生活では、野菜だけでは補えない栄養素を多く含む食品として、ひじきやわかめなどの海藻類が重宝されていることに気づきました。特に都会では、良質な海藻類は高価なものとして扱われます。次第に海藻に目を向けるようになり、あるとき山口県の祝島を訪れたところ、その貴重なものが海のなかに無限のように生えていたんです。それはもう衝撃的でした。祝島は瀬戸内海の西端にあり、海の透明度が抜群です。瀬戸内海は工業地帯として、全体の海岸線のうち約70%は埋め立てられてしまいましたが、祝島は全域が自然海岸で、島を取り囲むように天然のひじきやわかめなどが生育しています。もともと島の人たちは海藻の収穫や加工を季節の仕事として、また生業として、誰もが暮らしの一部としておこなっていました。人が穫ってもあり余るほどの海藻は、時期が過ぎればまた自然と海に還っていく。瀬戸内海の原風景が残る島の美しさと、海藻が身近にある暮らしに魅かれて、2010年から海藻の収穫時期に手伝いに行くようになりました。地元の海藻業を見てこれが自分の仕事になったら面白いだろうと思ったし、海藻があれば都会を離れても都会の人々とつながりを保てる気がして。翌年の2011年の滞在中に、東日本大震災が発生したのをきっかけに、そのままここで暮らし始めて今に至ります。

——祝島で伝承されてきた海藻業とはどんなものですか。

旧正月のころの大潮の夜に、ひじき漁が解禁されます。干潮のタイミングを見計らって、凍えるような寒さのなかヘッドライトをつけて磯に向かい、海面上に露出したひじきを鎌で収穫します。その後、加工場に運び、煉瓦や瓦で作ったかまどに木を焚べて、その日のうちに鉄の大釜でじっくり炊きます。鉄釜を使うことで、昔ながらの鉄分豊富なひじきができます。そして釜揚げのひじきを天日と浜風で自然乾燥させます。すべてが手仕事と自然の力で作られる、希少なひじきです。私はこの伝統製法を数年経験した後、自営で「こだまや」を始めました。祝島のひじきが島の特産品として知られるようになったのは、1982年に上関町に原発建設計画が持ち上がって以来のことです。祝島といえば、多くの人が原発に反対する島というイメージを持っているだろうと思います。でも本来はこの海の変わらぬ豊かさと島の営みこそ、知ってほしいことなのです。

 

原発と対極にある
生き方を貫く

——原発の建設計画がある町に住むことについて、どう思われていましたか。

僕は以前から環境問題をなんとかしたいと思っていて、特に原発には反対でした。祝島で暮らすことを決めたとき、自分が遠くにいながら反対運動などに参加するよりも、その当事者になるほうがまだいいのかなと思ったんです。ここに住むこと自体が原発と向き合うこととなり、その結果ここでどう生きるかが自分の意思表示になります。僕はここで、原発と対極にあるような暮らしを貫いていこうと考えました。

——祝島で暮らすことの魅力をどう感じていらっしゃいますか。

島の人たちは、生活のことはなんでも自分たちでやります。たとえば一昨日、僕の軽トラックのエンジンが故障して動かなくなってしまったので、島の人たちがやるように、自分で車を一旦バラバラにして、部品を付け替えてまた組み直しました。本土にいれば修理は専門の業者に頼んだでしょうが、周りにできる人たちがいる環境のなかで自然と身についたのです。そういう自助の力に支えられていること、反対に僕が人の役に立てることもあるのは、島のコミュニティの魅力ですね。その日は軽トラを直した後、仲間と一緒に使われていない井戸を復旧させて、水道局の水を使わずに洗濯などができる場所を作りました。祝島は山の浅い離島であるため確保できる真水が限られています。ここのところ渇水が続いて深刻な水不足なのです。さらに状況が悪化すれば、行政が本土からタンカーで水を運んできますが、それには何千万円ものお金が投入されます。それなら自分たちで経費を出し合って、みんなでなんとかしようという自治の発想は、じつは反原発ともつながっていると思っています。ライフラインにしても、なるべく要求しない力、自治するから行政からお金はいらないよ、という仕組みを持つことが、巨大産業をはねのけることになるのかなと。お金やエネルギーを浪費せずに暮らしていく知恵や道具がたくさん残っているこの島で生きさせてもらっていることが、僕にとっての幸せです。

——水や電気などの肝心な部分も自活できると安心感がありますね。食糧はどうされていますか。

最近、自給ベースですが畑もやり始めたところです。米や芋が中心で、物流が途絶えても食べていけるようなものを作るイメージでやっています。そうすると、ホームステイの人が来たりしても、なんとなく食べていけるんですよね。食糧を自分で作ればそれを現金化しなくても直接的に人のエネルギーになっていくのだなと思います。それだけではやっていけないですけどね(笑)

——どんな暮らしを目指していらっしゃいますか。

薪を使って炊事や風呂をまかない、水は井戸水、コンポストトイレで、生ごみでバイオガスを作るという、できるだけ外からエネルギーを奪わず、ゴミを排出しない暮らしを構築しています。今、地球の未来を担う新しい考え方として「適性技術」が注目されています。これまで先進国が経済成長のためにエネルギーを過剰に消費し、環境を破壊してきた技術に代わる技術を広めようというものです。また、その土地に適した技術を取り入れてよりよい生活を組み立てるという考えも含みます。理想は、僕のような暮らし方を特殊な人たちだけが実践するのではなく、都会暮らしでも、誰もが取り入れやすい形にデザインすることです。世の中がぱっと大きく変化するのは難しいけど、みんなの小さな変化の集積で、エネルギー問題や環境問題にもシフトが起きるかもしれない。

近年、世界中で海藻が激減しており、祝島も例外ではありません。海中に潜ると、本来彩り豊かな海藻が生い茂っているはずの所が砂漠化しており、生き物の生態が変化してきているのがわかります。これは、祝島のひじきに及ぼす影響だけでなく、地球全体の食糧危機につながる自然からの声だと感じています。そういった声を、多くの人と共有したい。国内外からホームステイしたい人を迎えています。この暮らしを「体感」することで次のアクションにつながるなにかを持ち帰ってほしい。この暮らしの在り方が反原発のひとつの形なのです。

核のゴミは誰のもの?

——反原発の意思を生き方で体現する、そこに行き着いたのはどんな思いからでしょう。

祝島に移ってきた当初は反対運動に参加したり、もっと強い言葉で国や企業、賛成派の人たちを責めたりしていました。でも生活するうちに、島内には当然賛成側の人もいて、その人たちが排除されてしまうことが見えてきたのです。原発反対が正義で、賛成は悪というように善と悪に捉えがちですが、実際は多数か少数かに過ぎないと気づいた。僕が原発に反対だとしても、多数が少数を追いこむことは望んでいないし、そこまで含めて原発に反対することの本質に向き合わなくちゃいけないと思ったんです。誰だって少数になりうるわけで、なにか行動や発言をする前には、ちょっと立ち止まって本当にこれでいいか、どんな言葉で相手に伝えるべきかと考えるようになりました。抗議行動に出るべきだというときには中国電力や役場に行くこともありますが、相手との対話を心がけて、なるべくゼロか百かの対立にはならないようにする。そういうことを学べたのはよかったと思います。

——祝島の人たちが40数年間も大きな葛藤を抱えてきたのだと思うと、他の場所との不平等を感じます。

「原発差別」という言葉があって、原発の性質上、原発の立地自体がそこに住む人への差別にならざるをえないんです。原発に抵抗することは、そういう社会とも戦うことだし、それだけではなく環境に負荷をかけない暮らしをすること、コミュニティのなかで賛成・反対の壁を切り崩して助け合うこと、社会のなかで少数や弱者とされる人たちにも歩み寄ることでもあります。結局、自分の生き方のどこを切り取っても「N‌O」という意思表示になるような、在り方すべてのことなのではないかと思っています。

僕らにとって「反原発の島」という言葉が一番心が痛みます。一括りにすることで、この島の本質的な魅力が見失われてしまう。原発と対極にある、自然と調和した暮らしが根ざしているところに原発が持ち込まれたから反発せざるをえなかっただけであって、反対を主導した人たちは、人格者で精神性の高い、素晴らしい人たちなんです。だから僕は反原発の島には住んでいないよと伝えていきたいですね。

——2023年8月には、使用済み核燃料の中間貯蔵施設の設置計画が明らかになりました。どのように受け止めましたか。

極端な話だと思います。ただゴミを置いておくだけの施設のために、莫大な費用と、自然破壊と、人を振り回すといった多くのエネルギーを費やすことになる。でも僕は、この話が自分の住む町に来たことはよかったと捉えています。核のゴミ問題は人間にとってすごく大事な話で、よその県にいってくれたら「ああよかった」とは思わない。置き場所の問題ではなく、使用済み核燃料の存在が問題なんです。日本は国家戦略的に原子力発電をしてきて、その計画自体がいい加減だったために、やはり行き場のないゴミが出てしまった。都合がいいからと上関町に持ってきて安堵されては、この先も問題が解決することはありません。この問題の当事者は、長年にわたって原発に依存した安定的な暮らしに頼ってきた日本人全員なんです。上関町の町民が決定権を持たされているような構図に違和感があります。もし安全だというなら、なぜ瀬戸内海国立公園に持ってくるのでしょう。国が美しいと認定した場所をわざわざ埋め立てて自然を破壊するのではなくて、すでに埋め立てられている大阪湾や東京湾でもいいし、移動せず原発の付近でもいいはずです。この問題は私たちにとって教材のようなもので、これをみんなで考えるきっかけにしたい。日本全体で、直接処分しますか、六ヶ所村で再処理してもっと発電しますか、これ以上核のゴミを出さないように暮らしをあらためますかと。もっといろんなことを一緒に考えていかないといけない。今僕が伝えたいことは、今こそみんなで考えましょうということです。

瀬戸内海の原風景そのままの自然海岸が残されている祝島の海岸。撮影:山下雄登

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