当時3歳の次女の手助け(?)でリリースされたにもかかわらず、大病院に戻ったわたしが入ったのは、お産の近い母子が入院するスペースでした。いわゆる「陣痛室」に近いものかもしれません。陣痛室のある病院で産む場合、陣痛室→分娩室→産褥入院施設と移動します。聞くだに煩雑ですが、陣痛と分娩を同じ部屋で過ごしたい人に向けて、ベッドが分娩台に早変わりする「LDR」も全体に増えているようです。
が、のんきに徒歩で戻ったとはいえ、わたしは緊急搬送扱いの妊婦ですから、LDRなんて選択の余地はありません。専用のナースステーションを囲むように数多く配置された、カーテンを引いて仕切っただけの空間に入れられました。中央のナースステーションは、コンピュータのステーションでもあります。医師や看護師は、日中は電灯の下、夜はブルーライトに照らされながら、基本、たくさん並んだコンピュータに向かっています。いろんな局面で感じたのが、PHSで連絡を取り合い、コンピュータで諸事を管理している病院の医師も看護師も、そして助産師まで、基本、人間ではなくコンピュータのほうを向いていました。人が産まれる場所なのに人に向き合っていない、往年のSF映画の“未来”の管理社会のようでした。
わたしがノンストレステストのためモニターされるのは日に2、3回でしたが、もっと重篤な方もいらっしゃるのでしょう、常にぴっぴぴっぴとモニター音がしていて、自由に出入りもできない、落ち着かないスペースです。そこでわたしが試みた自然な陣痛促進の内容は前回書きましたが、もう少し落ち着ける場所ならきっと再々試みたと思うのが、会陰マッサージです。助産院では、妊娠後期くらいから、オイル等をつけて会陰を周囲にのばすマッサージをすすめられたりするのですが、乳首マッサージと同様おなかが張るので、人によっては止められます。でも会陰をオイルパックをするだけでも、会陰を柔らかくする効果があるみたい。実際、会陰が伸びれば楽というものでもないらしく、ある年上の女性によると、20年くらいまえごく一般的な産科で受けた会陰マッサージがすごく痛かったうえに、会陰はよく伸びて切れなかったのに、その後1年くらいひりひり痛んだそうです。切開せずに産んで傷ができたとしても、クリップで留めれば治る程度がほとんどだと思うと、赤ちゃんがおりてくるにつれ少しずつ会陰が伸びるように、皮膚の柔軟性を高めるほうが、無理がないかもしれないです。
柔らかな会陰といえば、「赤ちゃんがおりてきて、会陰が、花びらがほころぶように柔らかく外側に開く」イメージングも行いました。HypnoBirthing: The Morgan Methodで読んだもので、簡単だし奇麗なので、よかったです。
と、外側から内側からいろいろ試みて。一番の難点は、わたしのメンタルでした。わたしの場合は低出生体重児ですから、赤ちゃんの健康状態を問わず、産まれると自動的に別入院です。とにかくそれがイヤで、わたしは大病院への転院を避け続けていたわけですが、イヤで産まなくても誘発され離されるのだとしたら、自然に産んだほうがいい。と頭ではわかっていて、分離不安に対処できるレメディをとったりしつつ、でも間違いなく心の奥では、産んだら赤ちゃんを取り上げられる、と、子持ちの猫のようにイヤがり続けていました。
さあ、内診の時間です。子宮口が3センチ開大になっていたら、メトロイリンテル(水風船)を入れなくても済みます。そのときの内診も若い医師と上位の医師の2人がかり。大病院で毎回辟易したのが、ほんと内診が雑というか、心ないです。助産院の助産師さんたちのやさしさを見習え!と思うくらい。
結果、3センチほど開いてました。リラックスできない環境で、気持ちがじゃまをしつつも、健闘しました! 内診があまりに不快で、第一段階クリア!と喜ぶ余裕のないわたしの膝の向こうで、若い医師が「これは入れなくても?」と、(わたしではなく)上位の医師に言いました。上位の医師は、“念のために”入れようと返します。え? と声を出すすきもなく、とくにわたしに断りもなく、さくっと水風船を入れられました。
次回に続きます。
望月 索(もちづき・さく)
キュアリングしたごま油はオイルパックにおすすめです。