想像と創造
東洋医学の世界観を話していると「氣」という見えないエネルギーの話題が出てきます。この「氣」について、「目には見えない話はするな」とか「実態のわからないものは使えない」など、予想もしない反応に遇うことがあり驚くのです。
たいていは「そういうものか」と流すのですが、さすがに何度も言われるとつい反論してしまうのです。「電気は見えるのか、ちゃんと説明はできるのか」、「電気について実態の説明ができないなら、帰宅しても電灯のスイッチは入れないのか」。こうなるとここから先は、沈黙しかありません。人は、あたりまえになってしまうと、その存在すら忘れてしまいがちです。キャンドルナイトのように、夏至などの季節の区切りに、電気を使わずに、照明を消してキャンドルで夜を過ごしてみようという呼びかけには有意義なものを感じます。
数年前に、わが家で初めてのキャンドルナイトをしたときのことです。最初は真っ暗ななかで怖がっていた子どもたちが、キャンドルに照らされた壁に向かって影絵を始めました。そのうちにヨーヨーを持ってきて、動くものがどう映るか、距離感で違いを出してみたりと想像力を働かせて遊び始めました。照明なしの生活をしてみたからこその気づき。「気づき」は「築き」につながるといいますが、子どもたちの創造力の礎を形成するきっかけにはなれたように記憶しています。
日常のなかで、自然を感じる時間を持つことで、感性や感覚に磨きをかけていくことができるのは、子どもに限ったことではなく、大人になっても大切にしたいと思います。
難有り、すなわち有り難し
一日では昼と夜、一か月では月の満ち欠けがあるように、私たちの生活のなかにも光と影があったり、気持ちのうえでポジティブとネガティブがあって当然です。ネガティブになることを否定してしまいがち。だけど、夜がないと昼はこないように、どちらか一方だけということにはならない。ネガティブな辛さを経験するからこそ、忘れかけていた感謝の心を取り戻すものかもしれません。
ご自身の身体の状態のことを「ひび割れの入ったお茶碗」と表現された患者さんがおられました。丁寧に扱えばまだまだ使える、雑に扱えば途端に使い物にならなくなる、これほど的確な表現はないのではないかと、そのときは感じました。病気を抱えていることよりも、日々を丁寧に生きようとするご自身の意志の方が大切ですね。そして一日一日を大切に生きることは、なにも病気を抱えた人に限ったことではありません。
禅の言葉に「七走一坐」といって、七回走れば一度は座ってみようというものがあります。何事にもスピードを求められる現代社会では、「いったん止まってしまったら、次にまた動き出すのが大変では」と心配になることもあるでしょう。それでも、ときには必要に応じて止まることという選択肢を自分の心の中にもっておく。とくにつまずいたときや失敗したときには、いったん止まって考えてみるといいでしょう。
「正」しいという字は「一」に「止」まると書きます。どこかでこれ以上は無理しないほうがいいという一線はもっておきたいものですね。
何も足さない、何も引かない
私どもの鍼灸治療においては、投薬や点滴などの薬効成分を補うようなことはしません。おもに身体の表面に働きかけをすることで、氣の滞りをなくしていって、血液の循環を改善していくことを目的としています。かつて「何も足さない。何も引かない」という洋酒のCMがありましたが、まさにその通り。見方を変えれば、必要なものは、すべて患者さんの身体にある、ただし上手く使えていないだけ、と信じているからできることともいえます。
何かが足りないと思いがちですが、ときには立ち止まって、目の前に「ある」ものに、目を向けてみることも必要ですね。
圭鍼灸院 院長 鍼灸師
マクロビオティック・カウンセラー
西下 圭一(にしした けいいち)
新生児から高齢者まで、整形外科から内科まで。
年齢や症状を問わないオールラウンドな治療スタイルは「駆け込み寺」と称され医療関係者やセラピストも多数来院。
自身も生涯現役を目指すアスリートで動作解析・運動指導に定評がありプロ選手やトップアスリートに支持されている。
兵庫県明石市大久保町福田2-1-18サングリーン大久保1F
HP:
http://kei-shinkyu.com