謹賀新年
新年あけまして
おめでとうございます
令和の年号を冠する初めての新年を迎えることができました
あなたさまに健やかさと幸いが溢れますよう 心よりお祈りいたします
本年もどうぞお引き立てをよろしくお願いいたします
プレマ株式会社
代表取締役 中川信男
従業員一同
歳を重ねると、どうしても思い込みが激しくなります。それは、身体ともに脳も柔軟性を失うからだという学説が唱えられるようになり、私たちに新しい生き方のヒントを与えてくれているような気がします。かくいう私も、この50年近い歳月のなかで思い込みばかりで生きているのかもしれませんから、よほど注意が必要だという自覚もあります。
同調圧力という空気
昨年の暮れ、「第二回おくどさんサミット」という会合が開かれました。「おくどさん(「かまど」の京言葉)」にまつわる米や食文化を継承しようという趣旨の会で、米素材100%のジェラートを作っている私にもお呼びがかかったのです。残念ながら弊社の関係する場所におくどさんがあるわけではありませんので、直接関係ないようにも思うのですが、ありがたいことに米文化の継承者という位置づけで第一回目から参加させていただいています。
同席者である家電メーカーの炊飯器開発担当の方が「ライバルは、いつでもかまどです」とおっしゃるくらい、かまどで炊いたご飯はおいしく、それだけで幸せな気分になりますし、炊く工程や道具、時間や温度による米の変化の豊かさには驚かされます。同じ素材でありながら、ちょっとしたことで別物になるという不思議さと奥深さは、まさに和の食における重要な要素であり、手を抜けないところで、とても勉強になる機会です。
さて、このような文化や食関係の会ではあるのですが、参加者のうち少なくない方が自治体の首長や国・地方の官僚の方であり、わたしのような異端の人間は常に浮いています。「文化の継承が」「和食の素晴らしさを」とスピーチされるのを聞きながら、私の発言の番になりました。今回に限らず、私にはどうしてもお伝えしたいことがあり、忖度はせずにお話ししました。
『ご参加の皆様が、和の継承者であり、またそれを広く発信される方々の前でこのようなことを申し上げるのは腰を折るようですがお許しください。
和食が素晴らしい、日本はすごいとオリンピックを前に盛んに取り上げられ、またナショナリズムの高揚の流れがあるわけですが、私は大きな違和感を感じています。現代和食といえば、魚の出汁やさしみ、和牛からトンカツ、カツカレーに至るまで、すべて日本食として括られ、それは実に素晴らしく世界に誇るべきものとされています。インバウンドビジネスの流れでもまた同列に語られ、和をアピールすることがよしとされていますが、世界には私たちが普通に食べるものを食べない、食べることができない方がおられます。ヴィーガンやベジタリアン、ムスリムの方などにとって、日本では当たり前でなんにでも使われる素材が禁忌であるということは少なくなく、食の障壁を越えていくという私たちの提唱する「Beyond Food barrier®️」の概念では、日本はすごい、和食はすごい、だからこの国では長い帯に巻かれなさい、という考え方自体にこそ障壁があると考えています。
(中略)私たちが日本の素晴らしさをアピールすることは決して悪いことではありませんし、私もそれを推進するべきだと思いますが、少数者を思いやることができない〝和〟というものが成立するとは思えません。他を知り、敬意を表するからこその和であり、時間軸を長く見れば、たとえば動物素材を使わないレシピや方法論はいくらでも見いだすことができます。表面的な理解で日本を捉え、それを世界に発信しようでは、ますます遅れをとると懸念をし、私たちはより長く、深く、広く、小さく物事を捉えようとして日々の事業をおこなっております』。
私たちは、自分と同じように考えない人を常に思い出し、私たちとは一体なんであるかを思い返す必要があります。「私たち」は同じ考え方の集団である必要はなく、違うことこそがダイナミズムの現れであり、素晴らしいことなのです。それを個人主義、西欧的価値観などと、対立した概念を作り出すためにわざわざ名付ける必要はありません。「私たちでありたいのなら、私たちは共通した誇りを持ちなさい」という考え方は必ず争いに火をつけ、それは決して終わらないループを生み出します。
「違うからこそ美しく調和している」が多事争論の言葉の本質であり、それこそ私たちが誇るべき日本的な価値観ではないかと思うのです。違いを知り、日々新しくなる。そういうわくわくした生き方を望んでいます。