大人になるとは、あらゆる制御法を覚え、実践できるようになることだと信じていた。しかし、どうやら違うらしい。悲しければ、ハラハラと泣き出し、また瞬間的に怒りだすこともある。不満や不安がことばの羅列となって外へ飛び出してしまう。心の内が表情や行動にダダ漏れし、唖然とする。ナンダ、ナンダ、この生き物は……。そして、あまりのあけっぴろげさに途方に暮れる。
言語を操りきれない幼児には、感情はことばそのものだ。大人になるにつれ、感情には別の出口が与えられる。怒り、悲しみ、不満、不安、それら内側に渦巻く感情は、「理性」によって制御されるようになる。「Positive thinking」も、「Anger management」も、あるいは「瞑想」さえも、心の移ろいを手なずけようとする試行錯誤の表れなのかもしれない。「不安だ」「無理だ」と口にしようとすると、心が竦む。だから、内に押し込め、努めて「建設的」なことばに置き換えて外に出す。繰り返し、繰り返し、呼吸するがごとく、不随意に転換できるまで繰り返してきたものの、いつからかどこかで、こう考えている。「押し込めた気持ちは、一体どこへいくのだろう」と。
奥底に汚泥のように蓄積したなにかが、たしかにある。それが「わかる」。落ち込んでいるときにかぎって、剥離して浮上すらする。心を緩めれば絡めとられ、引きずり込まれる。要は面倒くさいのだ。そうならばと、あるとき、言葉にした。
「もう嫌! できない‼」。
感情に任せて、大きな声で叫ぶ。もちろん周囲は驚いた。だけど、拒絶や否定を言葉にしたところで、自分も、周りも、なにも変わらなかった。ただ、すっきりした。自分でも驚くほどだ。そして、次の一歩が早かった。
「さあ、どう解決しようか?」
Manageの語源は、manus。手を意味するラテン語が、古代フランス語とイタリア語で、馬に関わる表現になった。意味は「馬と接点を持ち寄り添うこと」だそうだ。他人と同じくわからないのが自分自身。馬と寄り添うように、自分自身に、そして、心に寄り添ってきただろうか。
世界規模の疫病で国境が閉ざされるなか、フランスに暮らすわが相方が「帰ってこない」と不満を示し、不機嫌になる。その吹き出る感情を、大小便と同じくらいに捉えて流す軽快さは、相方なりの自分との寄り添い方なのだろう。ことばにして発散する。出しきって、すっきりする。見事な気分転換だ。
どんなときでも、自由と権利を強烈に主張する「フランス人」。フランス人も疲れてはいるのだが、それはここだけの話である。
プレマシャンティ®
開拓チーム
横山・ルセール 奈保
(よこやま・ルセール なほ)
日本生まれ、海外育ち。競技者として育ち、 肉体と食、食と精神、精神と肉体の関係を知る。ヨガセラピスト、マクロビオティック&中国伝統医学プラクティショナ―。Albert Einstein、白洲次郎を敬愛。理解あるフランス人パートナーのおかげで、日本に単身赴任中。