前号では黒糖や白砂糖がとても貴重だった江戸時代に、四国では黒糖に比べて生産性の劣る和三盆糖が製造されていたと書きました。どうしてそのようなことをおこなっていたのか。その理由を探るにあたって、黒糖と和三盆糖の製法の違いをご紹介します。
黒糖はサトウキビジュースを焚き詰めた後、冷却、攪拌し、蜜のなかからショ糖の結晶を成長させて固めて作ります。和三盆糖はサトウキビジュースを焚き詰め、冷却、攪拌のあと、黒糖になるまで固めるのではなく、ショ糖の結晶と蜜が混在したシャーベット状の「白下糖」を作ります。その後、半日かけて重石で白下糖を加圧して蜜分を排出し、残った白下糖に水を加えて練り上げます(「研ぎ」と呼ばれる熟練を要する工程)。この加圧と研ぎの工程を5回程度繰り返した後、乾燥させて和三盆糖の粉ができあがります。
手間暇がかかるうえに、仕上がりは少ない生産性を度外視した和三盆糖が生まれた理由には、「黒糖に固めることが難しい」という実情があったようです。適地適作の原則からは逃れられず、四国で栽培するサトウキビでは、恐らく糖度が足りなかったのでしょう。今でこそ製糖原理の理解が進み、サトウキビジュースに含まれるショ糖の含有比率が結晶化の可否を決めることがわかっています。しかし、当時は勘やコツなど経験からの知恵を一子口伝で製糖していたことが推測されます。1年かけて栽培し、焚き詰めた蜜が製品にならず換金できなかった無念さは計り知れません。
苦い経験のなかから、生産性が低くても確実に製糖できる分蜜方式に舵を切ったことで、世界に誇る和三盆糖が誕生しました。サトウキビ本来の香りを残しつつ、ホロリとほどける口溶けの良さを兼ね揃える上品な味わいが際立ちます。
香川と徳島、隣同士にも関わらず、それぞれの和三盆糖は独自の技術で築かれたようです。香川は水戸・松平家の影響下にあり、徳島は外様大名の蜂須賀家でした。その影響もあって、サトウキビの栽培法や製糖技術はそれぞれ別ルートであったようです。
江戸中期より使用された砂糖締車(サトウキビジュースを搾る道具)