現在、宮古島でサトウキビの栽培から収穫、黒糖づくりまでを体験型の食育プログラムとしてご案内しています。しかし、移住当初の13年前の私はまったくの素人で、作業手伝いをしながら、先輩農家の方々から栽培や収穫の技術を学んでいました。思い返すと、サトウキビの栽培は技術を教えてもらいやすかったのですが、黒糖づくりは簡単にはいきませんでした。各黒糖職人さんを訪ねて黒糖製造を依頼し、見て聞いて貪欲に製造技術を学ぼうとしました。しかし、一言で言うと、簡単には依頼を受けてもらえず、見せてもらえず、教えてもらえない状況でした。
かつて集落毎に黒糖作りをしていた時代には、原料のサトウキビを製糖工場が一括して買取る製糖・流通のシステムはなく、黒糖づくりは年に一度の現金収入を得る最重要の工程でした。勘やコツ、経験を集結した口伝により黒糖職人さんたちは独自の工夫を凝らして技術を競い、各自が一家言を持っていました。うまく焚きあげられた黒糖は地元の誇りであったと思います。
当時の黒糖づくりの様子を、楽しく懐かしい記憶として話を伺うことがある一方で、60代、70代の同じ世代の方々から「サトウキビ農家にだけはなりたくなかった」という声も伺います。過酷な労働のわりに実入りが少ないことに加え、1903年まで続いた人頭税制度によって黒糖納税の重税に苦しめられてきた負の歴史の記憶も影響していたのかもしれません。
貧しかった時代背景と共に複雑な思いが絡み合う黒糖づくりですが、地元の方が誇りとする黒糖づくりの技術を、移住数年の若輩者に安易に教える気にはなれなかったのだと、今になってよくわかります。
現在は保護政策によって維持されていますが、依然として経済的には自立できていないサトウキビ栽培は、兼業農家によって支えられています。適地適作で宮古島の気候環境にあったサトウキビの美味しさや価値を再評価してもらえるような取り組みとして、また宮古島の歴史や文化を伝えるツールとして、これからも黒糖づくりの体験型食育プログラムを進化させていきます。
収穫したサトウキビを畑から運び出す様子