オーガニックコットンの心地いい肌ざわり。
染色しないことにこだわり多彩な表情に仕上げられたプリスティン。
株式会社アバンティの代表取締役社長渡邊智惠子さんにプリスティン誕生の経緯や、今後について伺いました。
オーガニックコットンを扱うことになったのはアメリカからの輸入を頼まれたのがきっかけでした。発展途上国が先進国へと成長するとき国の土台となるのは、生活必需品である衣料を生み出す繊維産業です。
日本も明治から昭和にかけて絹や綿などの繊維で経済復興してきた歴史があります。綿の栽培から始まり、糸作り、生地作りと、何十社と関わらなければできあがりません。軽く受けたはずが、一生かかっても完遂できないほど奥の深い仕事だったのです。
依頼を受けて初めてコットンが農薬集約型農産物であることを知りました。科学的な肥料に始まり、殺虫剤、除草剤を撒いて、最後に枯葉剤(落葉剤)を撒いて収穫します。世界の耕作面積の2.5%で綿が栽培されており、そこに使われる農薬は全体の16%といわれています。他の作物の6倍ほどの薬剤を使う。
そんな背景にありながら農薬を使わないのがオーガニックコットンと知り「いいわね!やるわ」と(笑)。当時38歳。残りの人生をかけるなら気持ちのいいことを扱いたいと思っていました。
アバンティを起業して10年ほど経った、1995年に娘が誕生。この年は阪神大震災と地下鉄サリン事件があり、非常に揺れた年で、私にとってもターニングポイントとなりました。「日本人とは」を問われる一年で、いろいろ考えさせられました。「オーガニックコットンを啓蒙普及する」ことを生業とすると決めたのも、この年。
そして翌年、いよいよプリスティンが誕生します。
オーガニックコットンの広大な畑。周辺にマロウなどを一緒に育て、そこで、害虫の天敵であるテントウムシを育てる。テントウムシはそこから綿へと行ったり来たりして害虫を食べてくれる。
世界が認める織物の技術が各地に残る日本
ブランドを作って独自で売るだけでは、そこで終わってしまいます。でも素材なら、いろいろなデザイナーやアパレル会社が商品を作ってくれることで世の中に広まると考えました。
そこでまず素材作りをスタートさせ、日本を始め、ニューヨーク、パリ、ミラノで生地の展示会に出展しました。海外で見ると日本の技術は素晴らしいと感じますし、実際とても評価されました。
「アバンティのオーガニックコットンはロールスロイスだ」とスイスの紡績工場の専門家に言われ、欧州最大級のインテリア・デザイン見本市「メゾン・エ・オブジェ」のカタログの表紙を飾り、世界最高峰の国際的なテキスタイルの見本市「プルミエール・ヴィジョン」のチェアマンから直々に出展依頼を受けたこともあります。この生地を持って世界に行けることに幸せを感じ、日本人であることを誇りに思いました。
プリスティンは「染めない」ことを基本にしています。そのため、どのようにテクスチャー(質感)にバリエーションをつけるかが鍵になります。それを叶えられるのはメイドインジャパンだけです。日本ほど各産地に特徴のある技術が残っている国は類を見ません。繊維業界では廃業する会社が増えていますが、世界に誇れる日本の技術を、オーガニックコットンを通して、今後も伝えていきたいと思います。
昨今、新聞を読むことを止めて世の中の流れをほとんどキャッチせずに生きている人が増えています。世界とつながっていかなければならない時期に、情報の入手方法が偏り、正しい情報を得ることが難しくなっている現実があるのです。ジャンルに囚われることなく、何を学び、何を残していくかを考えるべき時ではないでしょうか。
そこで今「22世紀に残すもの」という財団を作り、みんなで一緒に考えていこうとしています。今日・明日、来年・再来年のことではなく、83年後の地球を考えながら、今どう行動するか。それを踏まえて行動している人をクローズアップしていきたいと思っています。