「円通」の言葉に初めて出会ったのは、『生命毉療は円の毉療ーカゴメ歌の謎解きと医療哲学』の原稿を書いている2007年のことでした。
恩師が、『医法円通』という書物の講義をされ、面白いなと思って調べるうちに、その書物とは別に円通がとても深くて有意義な言葉であることがわかり、嵌ってしまったのです。
それまでは「円」を使った「円の毉療」でした。
これは、2006年に大山の大神山神社参拝の折、宮司さんとの会話の中で、「すべては円だ」と閃き、それがきっかけで、「生命とは中心帰一の回転コマ運動をする円・球である」と自分なりの生命の定義ができ、「円の毉療」が生まれたのです。
それが円通の言葉を聞いてから、いろいろと考察を繰り返すうちに、「円通」を使った「円通毉療」にしました。
円通は、 円に回転という動きの概念が加わった言葉とも言えますが、その後の考察の中で、観音や観自在菩薩そして正法妙如来へとつながることがわかったからです。
漢方の理想の一つに、「天人合一」あるいは「天人相応」があります。
天とは宇宙のことでもありますが、宇宙とはuni(一つの)verse(回るもの)であり、円通するものなのです。
つまり、天人合一とは宇宙が円通するように、人間も円通しましょうということなのです。
この円通は、考えれば考えるほど素晴らしい言葉であることがわかったのですが、そういった概念そのものが少なくとも日本の医療界にはなく、言葉として使われたこともありませんでした。
だから、当初の円なり後の円通なりの言葉を提示することには勇氣が要りました。
そして、躊躇したのですが、やはり自分が「これだ、これしかない」と思って出版したのが先述の本であり、さらにより踏み込んで書いたのが2015年に出版した『究極の医療は円通毉療ー医療・宗教・生き方を一円融合する毉道・健康道・観音道のすすめ、そして修身斎家治国平天下をめざす』だったのです。
宇宙大自然と感応道交すると進むべき道が開き後押しを感じる
すると、まず一冊目を出した一年後と二年後に、「これで良いんだな、きっとこのまま進めば良いんだ」と思わせるような写真が偶然にも撮れていたのです。
それが、写真1と写真2です。
写真1:2008年立石寺
写真1は、芭蕉が「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」の句を詠んだ山形県の立石寺に行った時のものです。
写真2:2009年 美山芦生原生林
写真2は、京都美山の芦生原生林のトロッコの軌道を歩いた時に目前のそれを写したものです。
いずれも円形の光が写っています。
そして、二冊目を出した一年後に写ったのが写真3です。
写真3:2016年 長崎市内の旅館
太宰府天満宮参拝の後、長崎市内に泊まった翌日朝の写真です。
一見、柱状ですが、よく見ると円を描いています。
これらの写真は、自分の生き方を後押ししてくれる肯定的でロマンチックな意味を持つものでした。
知り合いのハイセンス・ハイセンシティブな方に観ていただいたところ、わかったのです。
このような、自分の心(正確には今の心である念)が、宇宙大自然に感応道交して、外界に証しとして現れることが偶にあるのです。
因みに、六角田中医院の開業の際に、京都の「田の字地区」に「田の字ビル」のテナントが見つかったのも同じ原理だと思います(写真4・図1)。
六角田中医院院長 医師
元・世界中医薬学会聯合会 常任理事
田中 実(たなか みのる)
1998年六角田中医院開業。
伊藤良・森雄材両師に師事、東洋医学(中医学)の啓蒙に携わる過程で東洋医学の理解には道教・儒教・仏教、易経の理解が不可欠と気づき、四書五経・古神道・言霊・数霊・密教を含め研究に取り組む。
「生命・病・健康・癒し・自然治癒力・科学・宗教・教育・医師とは何か」等の諸テーマの一元的解明を試み、独自の医療哲学を確立。
2007年内科認定医、東洋医学専門医、認定産業医を辞し、自覚を込めて「生命毉(円毉)」と称す。
生命毉療・円通毉療を実践し、修身斎家治国平天下をめざす。
六角田中医院(漢方専門)京都市中京区六角通東洞院東入オフィス5ビル3F
075-256-0116(原則予約制・水曜休診)
HP:
http://homepage3.nifty.com/rokkaku-tanaka/