標準から見た子ども
この連載や、ここから派生したブログやメルマガで、楽しく文章書かせていただいてますけども(詳しくはプロフィールのURLをご覧ください〜!)、私は本来、書くよりも、読んだり編んだりするほうが多いです。で、今読んでるのが、『平均思考は捨てなさい出る杭を伸ばす個の科学』という本(になる前の原稿)。あまりに当たり前すぎて考えることもない、「平均」について書かれた本です。
低出生体重児しか産めない母の実感として、私はずっと不思議でした。
子どもにも私にも異常はないのに、誤差だらけのエコー検査で推定体重が基準に満たないと、どうしてこんなに問題視されるのだろう。なのにどうして生まれた子の体重が身体発育曲線の幅に収まると、成長率がどれだけ異常でもチェックされないんだろう。逆に、発育曲線の幅に収まらない赤ちゃんは、どうしてこんなに問題になるんだろう。体重足りないからミルクを足せと言われた母親の多くが罪悪感を感じてる……。赤ちゃんご機嫌なのに、おかしくないか?
私は、西洋医学……この場合「西洋産科医学」の問題と捉えることが多かったのですが、その疑問に、もっと根本的な点から答えをくれたのが、冒頭の本です。
「平均」が発明されたのは19世紀の初頭。近代化の産物です。当初は平均であることは理想でした。それが、平均=平凡になり、そこから逸脱した幅でいろんなものが測られるようになっていきます。教育を例に挙げると、テストの点が平均より随分高いと優等生、随分低いと劣等生。感覚的に、わかるでしょ?
平均から個人は評価できない
「平均」が発明された当初、個人がないがしろにされる、という意見も多く出たそうです。医療従事者も例外ではなく、自分の患者は「平均」では治療できないとの反発もあったとか。
当時の人の感覚は正しくて、結局「平均」は、個人にフィットしないことが今ではわかっています。制度を作るのに便利だから、あっという間に定着したけど、実は「平均的人間」は存在しないので、平均から人間を個別評価するとほころびが出るんですね。そうか〜、だから医療制度も非人間的なのか〜。私もそのほころびの罠にかかり、3 人め陣痛促進されちゃったよ〜。
平均の発明者が発明したものはたくさんあるのですけど、BMI値もその一つです。「体重(㎏)÷(身長(m)×身長(m))」、妊娠中に絶対計算しますよね。ところが、その前提となる、「平均(標準)的体格」そのものが存在しない。20世紀初頭の米軍の大規模調査によると、3つの要素で体格が「(身体発育曲線的に)十分な幅をもたせた」平均に収まる人間は、3パーセントに満たなかったとか。だったら身長・体重の2 つの要素で平均に収まらない赤ちゃんが、たくさんいても不思議ではないですよね?
結局体格は、標準化できないんですね。
いろんなものに平均(=標準的な基準)を作る思考法は「発達」にも適応されます。いつハイハイする、おすわりする、成長のマイルストーンがありますよね。でもそれも、存在しないんです。赤ちゃんが普通にハイハイしなかったり言葉が遅かったりすると、大いに問題視されるし、親は本気で心配するというのに。
決して育児本ではないのですが、学校教育で子どもの持って生まれた能力が、どのように阻害されるかなどの具体例も書かれてます。ママもプレママもぜひ読んでみてください。私たちが見るべきなのは「目の前にいる子ども個人」であって、存在しない「平均的子ども」ではないことが、よくわかりますよ!
『あなたもできる自然出産 夫婦で読むお産の知識』
やっぱ平均目安に考えず、個人にあったお産を設計すべきですよね!この本、最高です!
プレマ株式会社東京スタッフ
望月 索(もちづき さく)
8歳、5歳、1歳の三姉妹の母。
人一倍不摂生な出版仕事人が妊娠、出産、育児と経験を積むうちに、気づくとハードコアな自然派お母ちゃんに。
編集、ライター、プレマの東京スタッフ。
編著に『子どもを守る自然な手当て』、訳書に『小児科医が教える 親子にやさしい自然育児』など。
楽だから自然なお産ご質問などは下記ブログまで
http://macro-health.org