3人目は自宅で産もうと準備も済ませていたのに、最後の最後にいきなりのなりゆきで、大病院で産むことになりました。医療介入のない自然なお産が身に付いていたわたしにとって、初めて体験したケミカルなお産です。……それは、これまでとはまったく異質の、苦しいお産でした。
“念のため”前夜から刺されていた点滴の針から、冷たい陣痛促進剤が血管に入ってきます。その冷たさが、そこから先の時間の過酷さを予感させます。しかもおなかに巻かれたモニターも、点滴の管も、産むのにジャマ! 助産師さんは、万一に備えて事前に折衝したバースプラン(後述します)をきちんと尊重してくれたよい方ですが、わたしのほうを見ず、モニターのまえに仁王立ち。ほかにも看護師さんがいるのに、誰も分娩中のわたしを見ないので、水ひとつとってもらえない状況、というのも初めてでした。帝王切開の可能性にそなえ、前夜から水も飲めなかったわたしは、レスキューレメディを入れた水を、口に含んでうがいしたいと何度も思いました。でも、状況的にかなり難しかったです。
わたしはお産って、充実感あふれる楽しいものだと思ってました。だから、病院で出産した友人たちが、「痛かったよ~」と異口同音に言うのがずっと不思議で。でも今なら、実感としてわかります。きっと、モニターで身動きもとりづらく、陣痛を逃したり休んだりするために姿勢を試すことすら知らないまま、時間のかかる初産をがんばった友人たちの、一番の感想は、痛いとか苦しいになるはずです。
しかも陣痛促進剤を使われていたりしたら……。わたしのように、「赤ちゃんの命に関わるから」などと言われるケースだけでなく、病院のスケジュールなどの都合で、陣痛促進剤はかなり普通に使われています。大変きついと噂には聞いていたけれど、実際、非人間的。屈辱的で、残酷でした。病院の都合で用いるのは、非人道的行為なのではないでしょうか? だから麻酔を使って無痛分娩、って発想になるのかもしれないけど、自然に産めるからだをつくれば、それだけで楽なのよ? わたしはよいお産を目指して、今回は、ヒプノバーシングの本を読んだりCDを聞いたりして、リラックスのスイッチを自分なりに仕込んでいました。で、途中までは健闘しました。モニタリングのしやすさよりも、自分が楽ができる体勢をできるだけ優先します。モニターがないと成り立たない現場で、さぞ迷惑だったろうと思いますが、わたしが楽なほうが赤ちゃんも楽、と、できるだけ力を抜き、深い呼吸を心がけました。
――――が、リラックスしようと思うわたしが間違っていました。自然なお産では、どんなピークにでも自分のペースがあり、必ずどこかで休むことができます。ところがケミカルなお産では、こちらがどんな状況でも陣痛が規則的に機械的に起こされ、強まり、まったく休むことも、ペースを守ることも許されません。
途中から、あまりの非道さに、無痛分娩に切り替えるかと聞かれたら切り替える(脳内麻薬が出ないからかえって痛いと友人が言ってたけど)、帝王切開にすると言われたら喜んでしてもらう(薬害怖いし術後ほんものの病人になるけど)、早く終わるなら会陰なんていくらでも切って! と思ったくらい。自分でもどうしようもなくて、医療行為の行いやすい体勢、子宮口全開大で努責、ああもう教科書通りですわ! 分娩台ってこういう産み方とセットなのね、と、したくもない体験取材でした。
と、わたしは3度目にして初めての、かなりきっつい思いをしていたのですが、安産めざして作ったからだですし、自然な陣痛促進に励んだあとですから。お産そのものは驚かれるほどスムーズ、会陰も傷ひとつなかったです。でも自分の体感的に安産とはほど遠く、母子手帳に押された「正常分娩」の判を見て、何が正常だ、異常だよ、と、後々までめらめらと怒りが燃え上がったくらい。
で、命の危険を危ぶまれた赤ちゃんはどうかというと。話が違う、と新生児科の医師が言うのが聞こえました。上2人と同じくらいの低体重でしたが、4時間かけて検査してもその他の問題はなく、特別に母子同室が許されたくらい、元気な赤ちゃん。ちなみに、ひと月後に細胞診の結果で最終確認しましたが、わたしの胎盤にも異常はありませんでした。
では、なんでこんなトラウマになるお産をするはめに……? しかも、事態はさらに過酷になったのです。
次回に続きます。
望月 索(もちづき・さく)
飲めないなら、頭頂部やこめかみにたらしたり、びんごと握ればいい。やはりお世話になりました。