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インタビュー取材しました。

【Vol.97】世界で生きていける子供たちに育てよう~フィリピン、貧しい母子たちの診療所、活動22年からの学び ~

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2015年7月28日東京開催。フィリピンでバルナバクリニックを営む、助産師・看護師の冨田江里子さんによる講演レポート第2回。

フィリピンの変化と、支援のあり方

フィリピンでは、グローバル化とともに今までになかった病気が増えています。
その中で、支援を続けることが良いことなのか、迷いの末に冨田さんが至った結論とは。

フィリピンに行って5年ぐらいして、クリニックを始めました。フィリピンも上層階級の人は良い暮らしで、マニラの街中では貧しさなんて見えない。でも一方で、ゴミ山で暮らす人たちがいる。ガラスとか廃材とかがものすごい落ちていますが、そこに暮らす人たちは、環境に適応して、体重移動がすごく軽やかで、怪我もしません。使うべき筋肉を使っていると、安産で、不妊症で悩まれる方もいない。クリニックでお産をされる方は、産後数時間で家に帰ります。家といっても、風は吹き込むし、雨漏りもしている。それでも、親がちゃんとケアをしてあげたら、子どもは生きていけます。子どもが病気になったとき、一番大事なのは、お母さんがいてくれる安心感です。お母さんが関心を持って、声をかけて、抱いてあげる。赤ちゃんはお腹の中では無菌状態で、生まれてから2年間が、いろいろな菌に遭遇し一番免疫力が活性化していく時期といわれます。ただ、弱い子というのは確かにいます。そして、どの子が弱い子かというのは、ぱっと見て分からない。だから、現代医療は訴訟が怖いんです。何かあったときに、今は医療ミスといわれてしまう。
現代医学の常識では、小さい赤ちゃんはNICUに入れます。けれど2年前に、クリニックで1・5キロの赤ちゃんが生まれたことがありました。そのとき、たまたま日本から来た方をお連れしたんです。その方がものすごい自信満々に「大丈夫、この子、生きるよ。私と一緒」っていわはったんです。戦中生まれで体格の良い方だったんですけど、早産でものすごく小さくて生まれたそうです。それから2年経って、あのときどう思っていたのかお母さんに訊いたんです。そしたら「あの人が大丈夫っていってくれて、本当に育つって信じられた」と。お母さんが自信を持つ、大丈夫と思うことがすごく大事なんです。

フィリピンにも、グローバル化に伴い、昔はなかった病気が出始めています。グローバル化でまず出て行くのは企業です。企業は当然利潤を追求します。結果、先進国では売ったらあかんものが途上国に出ていきます。実際、10年ぐらい前に、食品添加物の会社の方にお会いすることがあって、話を聞いたことがあります。発がん性や催奇形性が見つかって先進国で発売停止になった添加物は、途上国に入ってきます。大手メーカーのパッケージは同じお菓子でも、中身は違ったりします。質は悪いし量の規制もない。その結果、14歳で脳梗塞、19歳で心筋梗塞……そんなことが起こっています。粉ミルクでも同じことが起こっているんじゃないかと思っています。以前、生まれてすぐからずっと粉ミルクで育った赤ちゃんがいたんですが、生後9ヶ月で1センチの腎臓結石ができてしまいました。ミルクの箱にはメイドインフィリピンと書いてあるんですが、フィリピンにホルスタインなんていないんです。単純に考えて、メラミンだろうと。ミルクにメラミンという物質を添加するとタンパク質の割合が上がるんです。
途上国の医療は、貧困層が実験台にされることが珍しくありません。たとえば、2歳のときに腹部に腫瘍ができた子がいました。家族はお金がないのでいろんなものを売って病院に通わせていて、最終的にバイオプシー(生体組織診断)をしましょうとなった。ガンがどんな種類のものなのか確かめる検査なのですが、彼らはバイオプシーなんていわれても分からないんですよね。治るのかと思ってしまう。しかも本来針先だけで良いのに、この子の傷は10センチ以上、ちょうど大人の手が1本入るぐらい。結果、翌日から急激に腹水がたまって歩けなくなりました。最終的には私のクリニックで、お金がかからなくてもやれることを提案して、何とか歩けるようになりました。

亡くなってしまったケースもあります。誰であれ亡くなるというのは受け入れがたいですし、医学的にはすごい敗北感があってぬぐえなかったケースです。ジェルミンという男の子で、1歳のときに肺炎になって、そのときの初期治療がかなり悪かったんだと思うんですけど、それから毎年呼吸器疾患や肺炎を繰り返していました。10歳のときにとうとう肺がつぶれて、この時点でこの子は多分生きられへんやろうなと感じました。昼間はものすごいしんどいみたいで、寝転ぶこともできないからうつらうつらしながら、お母さんは竹串の内職をしながら24時間つきっきりで看護していたのですが、「お母さん、お願いだからお母さんの手で僕の心臓を突いて。僕しんどいから、あっちにいかせて、休みたい」っていってたんですよ。でも夜になると、黒い子どもたちが自分の手足を引っ張るって、「死にたくない!」って起きるんですよ。フィリピンにおいて黒い子って悪魔なんですよね。
死が近いときってバリアが薄くなるみたいで、不用意に触るとすごく痛かったりするようです。だから私はお母さんがちょっとでも休めるようにケアをして、最後は呼吸を楽にするために酸素ボンベを支援していました。「楽になったよ、ありがとう」っていってくれるんですが、治るわけじゃない。関わらへんかった方が良かったのかな、そうすればこの子はもっと早くに楽になれてるんと違うかなと、そう思いながら通っていました。それが何日か続いて、ある日訪ねていくと、ジェルミンが酸素のマスクを外すんです。「どうしたん?」っていうと、「僕の横にね、今、エンジェルが来てるから大丈夫。みんなにありがとうっていってね。酸素があったから僕エンジェルに出会えたよ」と。これはお別れの挨拶だなと、私は引き上げて、いろんな人にちゃんと挨拶をして、最後はお母さんに、「お母さん心配しないでね、エンジェルと行くから。愛してる、大好きだよ」って息を引き取ったそうです。翌日、お葬式に行ったら、お母さんが私を見て、「えりこ、これ見て」って、何かを紙に包んでるんです。彼女と私の共通理解で、ジェルミンは優しいから、お母さんが心配しないように嘘をついたと思ってたんですね。ところが彼女が紙を開くと、本当に小さな白いぴかぴかの羽が入っていて。それが何の羽かは分からないですが、お母さんと私にとってはエンジェルの羽です。
それでも、やっぱり苦しめたんと違うかなという思いが消えませんでした。そんなときに、マザーテレサの言葉に出会ったんです。彼女は、路上で死んでいく人を、きれいにして、食べさせて、必要であれば薬を飲ませるということをされていました。彼女は、「今の状況をベストにするためのことを、すべてできるということが良いんです。最後の一瞬でも、生まれてきて良かった、人の手ってあったかいなと思えるなら、それまでの人生にどんなに苦労があったとしても、幸せです。そのために薬が必要なのであれば全然惜しくない」といわれた。この言葉で、私の中で整理ができました。人の死は、人が決められることじゃない。だからそこまでは、ベストで関わるんです。
その思いを強くしたのが、ユニスという脳性麻痺の子です。この子は2歳半までしか生きられなかった。クリニックの横のWISH HOUSEという場所で、その子の世話をしたんです。ここに集まってくるのは、親が世話しないとか、将来売春させられるとか、そういう子どもたち。人は経験の生き物です。自分が愛を注がれていなかったら、愛するってどういうことか分からない。子どもを売る親の下では、お金に困ったら子ども売ったら良いと理解する。そういう子どもたちに違う価値観を経験させようというのがWISH HOUSEです。ユニスのケアを通じていろんな人が関わったし、他の子どもたちも成長できた。人は人に関ることで、絶対何らかの形で成長できます。

(次回、日本でできることの話に続く)

談:冨田 江里子
フィリピンで1997 年から暮らし、現地の貧しい母子が
置かれる状況に診療所を開設。3人の子供の母親。
ブログ:フィリピン、貧しい母子のためのクリニックより http://blogs.yahoo.co.jp/barnabaseriko

文:らくなちゅらる通信編集部

- 特集 - 2015年10月発刊 Vol.97

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