私は普段、刑事事件や少年事件に携わることが少なくありません。それらのうち、比較的多い類型の事件の一つが、覚醒剤や大麻など薬物に関連するものです。こうした薬物事犯は、本人に薬物を断ち切る意思があっても、なかなかそれが難しい点に特徴があります。薬物を使用するうちに、やめたくてもやめられない状態、すなわち薬物依存症に陥ってしまうのです。
こうした依存症者の回復を支援する存在として広く知られるのが、ダルクという団体です。私が生活する京都にも京都ダルクがあり、薬物依存症者がその施設に入所や通所して、回復を目指しています。私も刑事事件で薬物事犯の弁護人に選任されると、しばしばお世話になっています。
今回紹介したいのは、この京都ダルクに関わることです。ただ、刑事事件のことではなく、京都ダルクに入所・通所する方たちが出演する舞台のことなのです。
入所者・通所者が出演する作品
その舞台は、akakilikeというグループの倉田翠さんが演出する、長いタイトルの作品です。倉田さんは、3年ほど前に京都ダルクのメンバーと偶然出会い、メンバーに惹かれてその施設に通うようになり、ともに過ごす時間を経て、京都ダルクのメンバーの出演する舞台を創作するに至ったそうです。ですので、倉田さんを除けば、作品の出演者は俳優でもダンサーでもなく、京都ダルクの入所者や通所者です。
作品が上演されたのは2019年の8月のことでした。その1か月ほど前に作品のことを知った私は、倉田さんにお願いして、舞台の稽古を見学させてもらいました。そこで私が見たのは、たしかに稽古ではありましたが、薬物に依存した過去を持つ出演者が、回想や、想像や、対話を通じて、出演者それぞれの生の物語を発掘する営みのようでもありました。
私は当初、舞台が創られていく過程をじっくり見ようと思っていたのですが、結局、見学は1回きりでした。私が仕事に追われて時間を確保できなかったのもあるのですが、完成した作品を観て、そこから創作過程を想像するのもまた豊かな鑑賞方法に違いないと思ったからです。
そして8月の本番。冒頭、ステージの手前側に一直線に机と椅子が並べられ、出演者が客席に向かって座って、記者会見を思わせる場面が始まりました。その椅子と机は、観客すなわち私たち市民と薬物使用経験のある京都ダルクのメンバーとの間の壁を、如実に示すようでした。そして、倉田さんの一言をきっかけに、私たちを分断する机と椅子が取り除かれ、観客は、京都ダルクのメンバーや倉田さんの(非)日常に引き込まれることになります。
出演者の人生が作品ににじむ
さて、この作品。この度、新たに上演されることになりました。最初の上演から約1年半が経ち、出演者の人生は、きっと変容しているに違いありません。そして、作品には、その人生の歩みが刻み込まれているでしょう。
もちろん、出演された方たちのこの間の歩みを、私は知りません。それだけに、新たに上演される作品を観ることで、出演される方たちが重ねた時間を想像することを、今から楽しみにしています。
ところで、本末転倒のようではありますが、長いタイトルは冒頭よりも末尾に置くと座りがよいと思いましたので、ここでご紹介いたします。
『眠るのがもったいないくらいに楽しいことをたくさん持って、夏の海がキラキラ輝くように、緑の庭に光あふれるように、永遠に続く気が狂いそうな晴天のように』 富士見市民文化市民会館キラリ☆ふじみ2020年12月26、27日)と、THEATRE E9 KYOTO(2021年1月8日、9日)にて。