私は最近、ある記憶術を勉強しました。そのときの感想を数ヶ月前のメルマガに書いたのですが、それを読まれたお客さまから興味深いメールをいただきました。それは、ハイパーサイメスティック・シンドローム(超記憶症候群)という病気が存在するというのです。
私がメルマガに書いたのは、記憶術を学んでいるにも関わらず、私はあらゆることを忘却の彼方においやってしまうタイプであること、とくに関連性の薄いランダムに出現する言葉の連続を記憶するというようなことが、とても苦手であることでした。その記憶術の講座では、私が苦手とするところのランダムな単語を、空想上のイメージで結びつけて記憶する方法を学ぶのです。弊社のスタッフも一緒に学んでいるなかで、私は超のつく劣等生でした。無関係な単語を記憶する実験では、ほかの誰よりも時間がかかり、印象もとても薄くて言葉を思い出すのにも時間がかかります。変ないい方で恐縮ですが、自分でも納得できない忘れようなのです。楽しいことはたくさん覚えているのですが、楽しくないこと、不愉快なこと、ましてや苦かった経験のディテールなどは、ほとんど思い出せません。
妊娠・出産を経験した女性はおわかりだと思いますが、出産の痛みのディテールは思い出そうとしても思い出せないのです。「痛かった」という事実を、「痛かった」という言葉で思い出すことはできるようですが、多くの女性に詳しく体感を伴って思い出してもらおうと試みても、「そういえば思い出せない」と反応されることが非常に多いという事実を見つけてしまいました。とても男性では耐えられないと比喩される猛烈な痛みであっても、いざ思い出そうと試みても細部が思い出せないとは、私にとっては朗報でした。本質的にほんとうに逃れたいほどの痛みや苦しみは、健康体である限り思い出せないという事実です。いまではソフロロジーと呼ばれる一種の自己洗脳法で、薬剤を使わずほぼ無痛(と感じさせて)分娩することも可能と知りました。
すべてを忘れられない病気が『超記憶症候群』です。ぜひ想像していただきたいのです。あらゆることを覚えていて、ひとつの悪いことを思い出してしまうと連鎖的に辛かった経験だけが芋づる式に引き出されてしまい、そこから抜け出せないとしたらどれほどに人生は辛い経験になるでしょうか。その人に「楽しかったことを思い出して下さい」といえば、おそらく楽しかったことも引き出すことができるのですが、そのあとに感じた空虚さや寂しさを連続して思い出して他の記憶を圧倒してしまったら、心は平和にやすらぐ暇すらありません。実際にこの病に冒されてしまうと、楽しかった思い出よりも、悲しかったことのほうが圧倒的に多く思い出されてしまうようなのです。実際、多くの人にとって、すべてを正確に覚えていることができるとすれば、幸福を感じる瞬間よりもむなしさや悲しさを感じているときのほうが時間的には多いはずです。だからこそ、心が健康であることとは、楽しい瞬間にはそれをさらに際だたせ、その悲しさを埋めてしまうことができる状態なのです。
釈迦は人生はやはり苦しみばかりだといいました。そして無になることで究極的な快楽を得ることができたのです。
私は忘れやすい人です。これは健康体の証拠でしょう。それでも、美しかったこと、圧倒的に感動したことはいくらでも思い出すことができます。嬉しそうな人の顔をみるたびに、暖かかったあの瞬間を取り戻すことができ、それは細部までくっきりイメージでき、聞き直すことができ、感じることができます。だから私は悲しみを忘れやすい私を導いてくれたご先祖様に無限に感謝しています。この世から消える瞬間まで、あの人たちの笑顔を感じ続けることができる幸せに浸りたいと、日々念じています。
※「超記憶症候群」について詳しくは、この語でインターネット検索してお調べ下さい。