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農業ルネッサンス元年

川平 俊男 (かびら としお)

1950年米軍統治下の宮古島で生まれる。家業は農業。自然豊かな前近代的農業、農村で育つ。69年島根大学へ留学。趣味は器械体操といたずらを考えること。70年代から親の家計を助けるため那覇で働く。「オキナワーヤマトユイの会」に参加し援農活動の受け入れ。「琉球弧の住民運動」事務局に参加し奄美琉球各地域島々の地域づくり島興し運動を支援。沖縄農漁村文化協会を結成し農漁業、農漁村の未来像の研究を続ける。宮古島に戻り農業をしながら自然塾を主宰し、農的学習法を編み出し、地域教育に取り組む。一方で農作物の研究および生産を始める。多くの生産者が作っても売れない事情を知り販路拡大の応援。95年ごろ「宮古の農業を考える会」を結成し有機農法の普及拡大と循環型社会づくり運動を始める。有機農法の限界に気付き、無農薬無肥料栽培に進む。10年前から親の介護を続ける。

【Vol.60】「おいしい」を求めて

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気象の変化
 台風11号の影響で集中豪雨が続いている。風はそれほど強くはない。年明けから梅雨までは雨天が多く、野菜、果樹の生育が悪かった。梅雨が明けると一転して旱魃になり、サトウキビの立ち枯れが出始めた。行政の補助事業でトラック灌水を開始した途端、台風9号が襲来し、その後集中豪雨が続いている。

 去年5月の台風襲来、秋からの長雨、年明けからの雨天続き等は天候不順どころか異常気象とも言える状況である。ビニールハウス利用や水耕栽培などの施設利用以外の露地栽培農家は野菜生産から、やむなくサトウキビに転換する人も増えた。この時期、露地物はほとんどない。直売所などで売られている野菜は例年に比べて出来が悪い。無農薬野菜はゼロに等しい。スーパーでは鹿児島産、熊本産、大分産、佐賀産、長崎産、高知産、長野産、アメリカ産、ニュージーランド産、オーストリア産などの野菜果樹が並べられている。

 無農薬栽培をあきらめて、減農薬栽培に転換する生産者も出てきた。その原因の一つが作物がひ弱になり、気象の変化に耐えきれず、過保護栽培で病害虫にも弱くなったことだ。

 自然栽培の重要性がますます増してきている。

 日本本土からの移住者による農産加工品が増えてきている。直売所でも今年になって、急に加工品の種類が増えた。残念なことに、原料は無農薬栽培ではない。化学調味料、香料など各種の食品添加物も無造作に使用されている。

宮古一の「さたぱんびん」
 宮古でいちばんおいしいと評判の高い黒砂糖てんぷら(宮古語でさたぱんびん、沖縄語でサーターアンダーギー)をつくっている下里光子さんを訪ねました。その日は店は休みで、自宅近くの友利集落センターで女性達は豆腐づくりをしていました。男性達は五穀豊穣を願う神事を終えて祝いの真っ最中。この友利部落(城辺)と上地部落(下地)と佐良浜(伊良部)の人達は気質が似ていて気が合う。開放的で良く言えば豪放磊落、悪く言えば少々野蛮。「なりやまあやぐ(※)」大会実行委員長も同席していました。

 光子さんの自宅近くには「犬祖伝説」ゆかりのうたきがある。「犬祖伝説」とは犬を祖先神とする文化伝統であり、中国南部、東南アジア、宮古島、九州まで拡がる。沖縄島はシーサーであるが宮古島は犬神である。首里王朝文化の中で宮古人は「インヌファ」(犬の子孫)と蔑称されていた。沖縄島は中国との結びつきが強く、宮古島は南方やヨーロッパとの結びつきが強い。沖縄語は日本本土の平安時代以後の影響が強いが宮古語には奈良時代以前の古代語が数多く残っている。

笑顔のステキな下里さんご夫妻

 光子さんは40数年前、友利部落の下里龍信さんと結婚し、部落行事に参加した際に「さたぱんびん」づくりと出合った。「さたぱんびん」は貴重品であり、結婚式、出産祝、敬老会、部落の神事など以外ではめったに口にすることはなかった。「おいしくない」。光子さんは「さたぱんびん」を食するたびに思った。「何が原因だろう?」光子さんはおいしい「さたぱんびん」の試作に取り組んだ。一度取り組み始めると自分が納得するまではやめられない性格で、試作品はほとんど馬や牛のエサにした。自分でおいしいと思えるまでは家族でも食べさせることはしなかった。かぼちゃを使った時ようやく、まずまずの味になったが、何かもの足りない。自分の好きなゴマ風味にした時やっと完成した。

 洋服店をしながら「さたぱんびん」の加工販売を約20年前に始めたが「さたぱんびん」が売れゆき好調で「さたぱんびん」一つにしぼった。

 最近はハーブや果樹園利用で味や色に変化をつけた「さたぱんびん」が出回っているが、光子さんは昔ながらの素朴な味を大切に守っている。

昔ながらのおばあの味「さたぱんびん」てんぷらの店「ミツ」
沖縄県宮古島市平良字西里561 代表者 下里光子
電話090(7154)8962

※なりやまあやぐ=宮古民謡の代表曲


川平 俊男

川平 俊男氏
1950年米軍統治下の宮古島で生まれる。家業は農業。自然豊かな前近代的農業、農村で育つ。69年島根大学へ留学。趣味は器械体操といたずらを考えること。70年代から親の家計を助けるため那覇で働く。「オキナワーヤマトユイの会」に参加し援農活動の受け入れ。「琉球弧の住民運動」事務局に参加し奄美琉球各地域島々の地域づくり島興し運動を支援。沖縄農漁村文化協会を結成し農漁業、農漁村の未来像の研究を続ける。宮古島に戻り農業をしながら自然塾を主宰し、農的学習法を編み出し、地域教育に取り組む。一方で農作物の研究および生産を始める。多くの生産者が作っても売れない事情を知り販路拡大の応援。95年ごろ「宮古の農業を考える会」を結成し有機農法の普及拡大と循環型社会づくり運動を始める。有機農法の限界に気付き、無農薬無肥料栽培に進む。10年前から親の介護を続ける。

プレマ株式会社の『宮古島プロジェクト
宮古島の自然農法を推進し、島の健全な地下水と珊瑚礁を守り、お客様に安心と安全を届けます。

- 農業ルネッサンス元年 - 2012年9月発刊 Vol.60

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