カンボジア地雷除去支援

【Vol.67】滞在中に起きた事故と増え続ける不発弾被害者

 ラオス、シエンクアン県のポーンサヴァンに滞在して1週間。2013年2月13日、シエンクアン県で不発弾生存者の支援をしている現地NGOの事務所でミーティングをしているときに、リハビリテーションセンターのスタッフから電話が入りました。「今、病院に不発弾事故に遭った患者が運ばれてきたから、すぐに来なさい。」ミーティング中だったので、すぐにというわけにはいかなかったのですが、シエンクアン県立病院へ駆けつけました。
 病院に着くと、被害者は幸いにも軽傷だったので、ほっとしました。突然の訪問だったにも関わらず、被害者の方は、事故の様子を話してくれました。「今日の午前10時頃、穴に枯れ葉やゴミを集めているときに、その穴の中で爆発があって、負傷しました。」と病院のベッドの上で話すワンミーさん。49歳の男性です。「子どもは3人いて、シエンクアン県ノームボン郡チョン村に住んでいます。」事故は家の庭で、家からは約15m離れたところで枯れ葉やゴミを穴に集めて、燃やしている時に何かが突然爆発したそうで
す。爆発するまで不発弾があることを知りませんでした。怪我の状況はどうですかと聞くと、「左手の甲、腕、右足のすねなどに破片が飛んできて、怪我をしましたが、幸い頭や体は大丈夫です。左腕にはまだ痛みがあります。」と右手で指さしながら、痛々しい包帯の巻かれた左手と足の怪我の場所を教えてくれるワンミーさん。

シエンクアン県立病院で治療を受ける不発弾被害者ワンミーさん

2日前にリハビリテーションセンターのスタッフの方に病院を案内してもらったときには、病院の廊下に張ってあった不発弾被害者の写真の痛々しさを見ていましたので、事故は軽い怪我で本当に安心しました。それらの写真では、クラスター爆弾の子爆弾が爆発した小さな破片が無数に体に刺さっている男の子や、内臓が出ているような写真もあって、すごいものでした。
 話を聞き終わったときに、ご家族のおじさんが「事故の現場まで行ってみるか?」と声をかけてくれました。病院から家までは、1kmぐらい。車があるから、連れて行ってくれるとのこと。早速、事故現場まで直行しました。ワンミーさんを病院まで搬送してきた車で、県立病院のあるポーンサヴァンの街の中心部から車で10分ほど走った郊外の家に向かいました。事故現場に到着すると、まだ地面には、たくさんの血痕が残っていました。家の横にある庭には木が植わっていて、1m四方の穴が掘ってありました。その中、「枯れ葉やゴミなどを燃やして、約1.5mある竹の棒を使って、枯れ葉などを掻きいれていた。」とご家族の方が、実際にやってみせて、説明してくれます。事故に遭ったときには、その爆発が起きた穴から2mほど離れていたところに立っていて、その竹の棒を使っ
ていたので、怪我は小さくてすんだようです。爆発によって穴の周りにある木の幹や枝にもたくさんの破片が突き刺さっていました。その1つを掘り出してみると、5ミリほどの小さな鉄の破片が出てきました。恐らくアメリカ軍の戦闘機から撃たれた機関銃の弾丸の不発弾だろうとのことでした。この家のすぐ裏には、米軍の空爆によってできた巨大なクレーターが残っていて、池になっていました。裏山にはベトナム軍の兵士たちが駐屯していた場所があり、ベトナム戦争中は、激しい爆撃と戦闘が行われたとのことです。隣の民家ともわずか数メートル。ラオスの人々の日常の生活のなかに、不発弾がまだたくさんあるのです。

木に刺さった不発弾の破片を取り出した村人

 シエンクアン県での不発弾被害者は、2011年31名。2012年は29名。これは県立病院に運ばれてきた被害者の数だけで、即死の場合や、県立病院に運ばれてこなかった被害者の数はカウントされていません。まだ被害者の数は減っていません。この2年間の数を見ると、半月に1回は不発弾事故がシエンクアン県で起きていることが分かります。冬は0℃前後まで冷えるシエンクアンでは、暖をとるためにたき火をしているときに、地面の下に不発弾があり、爆発するケースが非常に多いです。2012年は、実に20名がたき火によって被害に遭っています。ラオスの人たちが安心して生活できる社会を造るために、テラ・ルネッサンスでは、これまでの不発弾撤去の支援とともに被害者の支援を2013年に始めます。

江角泰(えずみ たい)

江角泰(えずみ たい)氏 NPO法人テラ・ルネッサンスのカンボジア事業担当者。
大学時代に、NGO地雷ゼロ宮崎のメンバーとして参加した「テラ・ルネッサンスのカンボジア・スタディツアー」が、テラルネッサンスとの出会い。
現在は、カンボジアにおける地雷問題に取り組む他、弊社が進めるラオス支援活動も担当中。
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【Vol.66】梅咲く学校に夢が咲く~ プレマ・シャンティ中学校から

 2009年にプレマ株式会社様よりご支援いただき、完成したラオス、シエンクアン県ノンヘット郡カンパニオン村のプレマ・シャンティ中学校。完成してから4年が経過した2013年2月7日に訪問してきました。空は透けるように青い快晴。気温もかなり上がって、日なたにいれば、長袖だと汗ばむぐらいの陽気でした。そして、植えられた梅の白い花が綺麗に咲いていました。

プレマ・シャンティ中学校

 シエンクアン県の県都ポーンサヴァンから曲がりくねる山道を車で走り、ようやく丘の上に校舎がはっきり見えてきたときは、嬉しさの反面、きちんと使ってくれているのかという不安が入り乱れた気持ちになります。車が中学校の麓にある小学校の前の校庭に入り、まず目にしたのが、小学生たちがかごを持って一緒にゴミ拾いをしている光景。なんとも言えない嬉しさが、込み上げてきました。そこから中学校のある丘の上に上がって行きました。毎週水曜日は、環境美化活動をする日と決められているようです。中学生たちは、先生の指導のもと、学校の周りをさらに綺麗にするために木を植えていました。これも学校を建設する前に、不発弾撤去をやったから安心してできるのです。
 校長先生や先生たちも次から次へと出てきて、挨拶をします。シエンクアン県のカンカイにある教育大学で勉強する教員志望の学生が、10人ぐらい教育実習に来ていました。お昼に校長先生を始めとした先生たち15名と短いミーティングをし、現在の中学校の状況などを聞きました。校長先生によれば、生徒数は毎年増加していて、2013~2014年度は、309名の全校生徒、7教室を使って勉強しています。建設した校舎の5教室のうちの1室を職員室として使っていて、残りの4教室、さらにプレスクール用に建てられた建物の2教室、そして小学校の教室を1つ借りて授業をしていました。
 学校は、とにかくよく運営されていて、新たにブロックで壁を作ったトイレが2基、中学校の近くにも建てられていました。聞くと、先生たちが協力して、自分たちで建てたとのこと。自分たちにできることは、自分たちでやろうとしてくれることがとても嬉しいことです。ただ、水がないために、子どもたちが毎日丘の下にある小学校の井戸から水を担いで運ぶ必要があるとのことでした。

中学校で勉強する子どもたち

 この他、現在の学校の課題を先生たちから聞きました。それが次の5つです。1.午後4時以降補修をするための電気がないこと。2. 足りなくなっている中学・高校用5教室の校舎の建設。3. 先生たちが報告書を書くためのコンピューター3台。 4. 生徒たちが知識を深めることができる図書室の設置。5. 生徒たちが運動するために使うスポーツ用品。どれも納得でき、さらに教育を充実させようという想いが感じられるものです。
 これは、嬉しいことでもあるのですが、高校へ進学したい生徒たちが増えてきているのです。ただ、高校のないこのカンパニオン村を中心とした15村の地域は、ノンヘット郡の街にある高校へ行くことになり、遠く険しい山道のため通うことは、とても難しいことなのです。ある男子生徒は、このように話してくれました。「この校舎で勉強ができることは、とても嬉しいです。今、心配しているのは、中学校を来年卒業したあと、ノンヘット郡の街の高校に通うのが、とても難しいことです。ぜひ高校をここに建ててほしいです。」この地域の方針として、将来高校を 建設する計画があるそうですが、まだ資金がないとのことでした。
 先生たちの子どもたちへの想いと、純朴な子どもたちの勉強したいという想いが重なって、とてもいい学校になっていると思いました。校舎を建てた後、校長先生に管理運営を任せることになったのですが、1年に一度見に来れるかどうかという場所にある中学校が、本当にきちんと運営されていて、素晴らしいとしかいいようがありませんでした。さらに驚いたことに午後4時以降も勉強したいので、電気が使えるようにしたいと、先生たちが言います。この地域の子どもたちの将来には大きな期待を抱きながら、梅の花咲く学校を後にしました。現地の人たちが本当に必要で、重要だと考えて、自分たちの未来を担う人材を育てている様子は、本当に素晴らしく、とても美しい光景でした。

江角泰(えずみ たい)

江角泰(えずみ たい)氏 NPO法人テラ・ルネッサンスのカンボジア事業担当者。
大学時代に、NGO地雷ゼロ宮崎のメンバーとして参加した「テラ・ルネッサンスのカンボジア・スタディツアー」が、テラルネッサンスとの出会い。
現在は、カンボジアにおける地雷問題に取り組む他、弊社が進めるラオス支援活動も担当中。
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【Vol.65】「日本は平和だと思いますか?」~カンボジア事務所スタッフヨート・イェトの日本初講演から

 2012年11月、カンボジアの地雷被害者ヨート・イェトが初来日し、東京、宮崎、京都で講演をしました。彼女は、14歳の時に地雷事故に遭いました。当時のカンボジアは、内戦の真っ只中。田舎の、設備も何もない公立のヘルスセンターで、右脚を切断。その後、養子を引き取り育てながら、2度の結婚と離婚を経験し、2 0 0 9 年4 月からNPO法人テラ・ルネッサンスのカンボジア事務所で、今も地雷の脅威に怯える人々を助けるために働いています。その彼女が伝えたメッセージは、次のようなものでした。

イェトからのメッセージ

宮崎公立大学で講演するイェト

 私は、世界平和を実現したいと考えています。カンボジアは、内戦はすでに終結しましたが、まだ平和になったとは言えません。それは、地雷がまだたくさん残されているからです。では、皆さんにお聞きしたいことがあります。日本は、平和な国だと思いますか ? 私は、日本はまだ平和な国だとは、思いません。それはなぜかというと、日本には自ら命を絶つ人が多く、また学校では、いじめの問題があると聞いているからです。カンボジアでは、そのような問題はありません。もしあったとしても、学校の先生や近所の人たち、家族が必ず助けます。私も死にたいと考えているときがありました。地雷を踏んで、脚を失ってしまったとき、私は本当にもう生きていたいとは思いませんでした。未来に希望が持てなかったのです。ただ、母や家族、医者が、『絶対に死んだらだめだ。少ししたら誰かがきっと助けてくれるから』と、言ってくれたので、なんとか生きていました。地雷事故に遭ってから5年後に、義足を受け取ることができました。義足を受け取り、再び歩けるようになったとき、私は本当に嬉しかったのです。テラ・ルネッサンスと出会い、働き始めてから、自分で仕事をして、家族を養うことができるようになったことは、さらに嬉しいことでした。私は、助けてくれる人がいたから、生き延びることができたのです。そして、今はとても幸せです。だからもし皆さんのまわりに、誰かつらい思いをしている人がいたら、死にたいと思っている人がいたら、助けてください。お互いに助け合えば、きっと困難は乗り越えることができると思います。もしつらい思いをしている人がいたら、誰かに相談してください。きっと助けてくれる人がいます。

イェトのメッセージを聞いて
 このメッセージを聞き、宮崎の講演では、次のように話してくれた人がいました。『わたしは千葉県の出身ですが、震災の影響で、息子を連れて宮崎に移住してきました。それを裏切り者呼ばわりされ、ずっと笑顔になることができませんでした。でも今はようやく笑顔を少しずつ取り戻すことができてきました。それはなぜか、今お話を聞いて、やはり宮崎の人たちがとても温かく迎えてくれて、助けてくれたからだと分かりました。本当にありがとうございました。』私も住んだことがありますが、宮崎は、本当に人が温かくて、イェトも大好きになったようです。
 また、京都での世界会議では、休憩時間にイェトのところにやってきた1人の若い女性がいました。「私は、17歳と20歳の時に2度自殺未遂をしました。16歳から精神科の病院に通って治療をしてきたし、医者も家族も『絶対に死んだらだめだ』と言ってくれました。それでも今も自分がいつ死ぬかも分からないし、逆に自殺するのが怖い自分もいます。」と話してくれました。イェトが、彼女に対して「確かに今は辛いかもしれないけれど、人生の中では必ず楽しいときもやってくるから、絶対に死んだらだめだよ。」と伝えると、彼女は震える手で、イェトの手を握りしめていました。
 短い滞在期間でしたが、イェトは、物質的な豊かさとは逆に、日本にもたくさんの問題があることを感じたようです。「日本は平和な国だと思いますか ? 」という問いかけは、数十年前にマザー・テレサが、日本に初来日した時と似たものを感じたのかもしれません。マザーは、日本は「物質が豊かだが、心が貧しい」とその時に述べたそうです。イェトのメッセージの中に、本当に平和な世界を創るために、私自身が今すぐできることを教えてもらいました。

江角泰(えずみ たい)

江角泰(えずみ たい)氏 NPO法人テラ・ルネッサンスのカンボジア事業担当者。
大学時代に、NGO地雷ゼロ宮崎のメンバーとして参加した「テラ・ルネッサンスのカンボジア・スタディツアー」が、テラルネッサンスとの出会い。
現在は、カンボジアにおける地雷問題に取り組む他、弊社が進めるラオス支援活動も担当中。
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